‥攻撃が淡々と決まって見えるのは、セットされた球(ボール)が混じり気なく良いセッティングだからだ。打つ奴も観てる奴も、何の違和感も無いっていうこと2

 

 「高校最後の大会、お前と戦えて良かった。」

 「桐生の何でも打ってくるやつチョー凄かったけど、この先、セッター以外の奴にも、もっと良い球寄こせって言っていいと思う。無理を承知でも。」

 「…そうやな。」

 …木兎光太郎、どこまでも前だけ見よん…

 『ハイキュー』桐生と木兎の会話、そして、木兎の脳内言葉です。

 

 

 昨日、Jリーグ×ブルーロック国立競技場コラボ試合、フロンターレVSベルマーレの試合を観てきました。

 Jリーグの試合を観るのは、小学生以来でした。

 

 試合を観ての感想は、日本サッカーの課題を見つける事が出来た事、さらにはどちらのチームの応援も素晴らしかった事、試合前の選手紹介や湘南の風のライブ等試合をエンターテイメントとして観た場合のクオリティが素晴らしかった事等が挙げられます。

 日本サッカーを支えるサポーターや、エンターテイメントとして盛り上げる運営は、世界と戦えるものであると感じました。

 あとは、サッカーのクオリティのみです。

 

 良いインサイドキックは最初無回転である事・良いポストプレイはボールの勢いをも利用して逆回転を掛け受け取る仲間が一瞬考える時間が作れる事・長い強いインサイドパスはややインフロントにかけ曲がった軌道を描く事で味方が追いつかないかのようなスピードのボールでもボールの軌道が長い為味方が追いつくが出来る事・バウンドしたボールを強く回転をかけたスルーパスを出すと敵と味方が交差する直前で一瞬ボールが止まる事、サッカーを考えてやっていた人であれば、このように味方が一瞬考える時間を作れたり、シュートをしやすいボールをプレゼントしたりする事を実践してきたと思います。

 私は『ブルーロック』のようなエゴイストとともに、否、それ以上に上記のように考えてサッカーをしている選手が大好きです。

 

 残念ながら、昨日の試合には、私が考えていると感じるプレイヤーはいませんでした。

 トラップのボールの置く位置1つで、次のパスコースの選択肢が決まってしまいます。

 1つしか選択肢が持てない位置にトラップをしていては、その後、パスを受け取った、サイドの選手は、相手につかまってしまいます。

 一見、サイドの選手がボールを失っているように見えますが、その結末は、その一歩手前の選手のトラップのボールの置く位置で決まっているのです。

 これを求められるが、現代フットボールではGKであり、センターバックです。

 

 私の眼には、昨日の試合は、この繰り返しに見えました。

 その為、ボールが落ちつく時間もなく、ボールを奪って奪われての繰り返しで、選手の見せ場=観客がワクワクする場面まで、ボールが運ばれていかないのです。

 その結果、VIPシートに座っていた隣の子ども達も、試合前こそ盛り上がってしましたが、試合が始まってからは試合ではなくゲームに熱中していました。

 

 同じチームを応援する仲間と大声を出し、勝敗に一喜一憂するという文化は30年のJリーグの歴史の中で、見事に培う事が出来たと感じます。

 しかし、サッカーの楽しみ方は、それだけではありません。

 私のように、サッカーを考える選手を発掘するという見方や新しい戦術の形を探していくという見方、さらには監督の立ち振る舞いをみていくという見方も、試合を戦のように捉え心理戦を楽しむという見方も、経営者視点となりチーム経営を見ていくという見方等、サッカーの見方は自由です。

 

 同じチームを応援する仲間と大声を出し勝敗に一喜一憂するという見方以外の、見方を提供していく事。

 それが、日本サッカーの発展の為に、必要であると感じました。

 

 

 最後に昨日はブルーロックVIPシートを購入した為『ブルーロック』潔と蜂楽演じる声優のトークショーにも参加する事が出来ました。

 そこで、リクエストで生で役の声を演じて貰う場面があったのですが、生の声優の声には、覇気を感じました。

 サッカー選手よりも、声優に、覇気を感じてしまう自分に、笑ってしまいました。

 

 VIPシートに来ている人達は、一部の金持ちを除き『ブルーロック』推しの人達でした。

 アイコンは皆、ブルーロックキャラクター、バッグには推しの人形をつけています。

 勿論、漫画・アニメとのコラボも、日本にしか出来ない見方の提供の1つです。