あの村の連中は、全員頭がおかしい。そんなことはない。でも、おかしい奴の声は大きくて、自分以外の全てに思えて、土足で他人の人生を踏みにじるもんなんだ

 

 …野薔薇ちゃんは、村の人達が嫌いだった…

 「狭ぇ村だからさ、友達になるより、他人になる方が難しいんだよ。」

 …良いことじゃないかと、私は思った。数年たって、近所のお婆ちゃんが、赤飯を炊いて持ってきた時、野薔薇ちゃんの言っていたこと、その気色悪さを理解できた気がする…

 

 …私より後にこの村に越してきた、その子は沙織ちゃんといって、いつも突然訪ねてくる私達を嫌な顔一つせず、迎え入れてくれた。そうだ‥沙織ちゃん、いつも家にいたな…

 …沙織ちゃんに会って、野薔薇ちゃんは変わった。口調も柔くなって、なんというか、品のようなものが、身に付いていったんだと思う…

 

 …同じ余所者だけど、私と沙織ちゃんは、何もかも違い過ぎた。それから少しして、沙織ちゃんの家の様子がおかしくなった。ゴミとか、落書きとか、明らかに人為的に積まれた雪とか、立派なお家が不気味に見える位…

 …それから少し経って、沙織ちゃんが引っ越した。野薔薇ちゃんと二人で見送ったけど、その時誰が何と言ったとか、どんな天気だったとか、思い出すことができない。でも、とにかく野薔薇ちゃんが、顔をベチャベチャにして泣いていた。この子も泣くんだと、その衝撃で、他のことが頭に入って来なかったんだと思う…

 『呪術廻戦』釘崎野薔薇とふみの回想です。

 

 

 DaiGOが、松本人志の休業を、神の一手かもしれないと評していました。

 その理由は、休業をする事で、文芸春秋に対して「これだけ損害が出た。」と損害賠償請求をする事が容易になるからです。

 松本程の人物であれば、その損害は、数十億に及ぶ事でしょう。

 数十億の損害賠償が出来るのであれば、文芸春秋を潰す事も、出来るのではないでしょうか?

 

 

 誰もが、その仕事で、実績を積んでいくと、必ず批判をしてくる人や感情的な言動で足を引っ張る人に出くわします。

 私自身、現在、感情的な言動で足を引っ張るような人に出くわしており、心のHPを持っていかれています。

 何もかも放り投げたい気持ちになる事もありますが、多くの人にとってそうはいかないもの。

 

 仕事をしなければ生きていけないし、家族を守る事も出来ません。

 私は、転職をする事には肯定的ですし「合わない」「成長出来ない」と感じたのであれば「合う会社」「成長出来る会社」に転職するべきであると思います。

 しかし、批判をしてくる人や感情的な言動で足を引っ張るような人から逃げる為に、転職をした所で、次の転職先にも必ずそのような人が会社にいたり、別の会社に所属しているそのような人と付き合う必要が生じてきます。

 

 

 …どうか今の生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感情や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう…

 病気を患った宮沢賢治が、元教え子に送った手紙です。

 

 上記のような気持ちで、どうしたら良いのか悩んでいる時に、私はこの賢治の手紙に出逢いました。

 楽しめるうちに楽しんでおきなさいとは、誰もが言います。

 しかし、苦しまなければならないものは苦しんで生きていきましょうとは、誰も言いません。

 

 賢治は、イーハートーブを舞台に、様々な童話を書いています。

 イーハートーブは地名ですが、存在する場所ではなく、賢治が描く理想の世界です。

 

 …そこでは、あらゆることが可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従えて北に旅することもあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。罪や、かなしみでさえ、そこでは聖くきれいにかがやいている…

 『注文の多い料理店』の一説です。

 

 賢治は、理想郷にも関わらず、罪や悲しみをないものにせず、理想郷にも、罪や悲しみがあるものであると描いています。

 誰にとっても、自分は特別です。

 世の中も、自分中心に見る事しか出来ない事が多いです。

 

 しかし、客観的に捉えれば、自分という存在は、実に取るに足りない存在で、極端に言えば、私がいなくても、あなたがいなくても、世界は何一つ変わる事なく、動いていきます。

 松本人志がいなくても、芸能が動いていくように…。

 

 

 …あの村の連中は、頭がおかしい。そんなことはない。でも、おかしい奴の声は大きくて、自分以外の全てに思えて、土足で他人の人生を踏みにじるもんなんだ…

 『呪術廻戦』釘崎野薔薇の脳内言葉です。