「組織化されていく近代サッカーにおいて、一人で試合の情勢を逆転するなんてことは稀です。ただし、あそこまでレベルが違うと別です。」
「敵のマークにあい、通常ならここで90%パスをする。敵も味方も信じ切っているような場面で‥義経選手は1枚2枚剥いでからパスをする。こうなると、チマチマとボールを回すこと自体必要なくなる。だってFW陣の前には敵がいない。だだっ広いスペースが残るだけなんですから。」
「あんな選手がフィールドに立つと、必然的にボールは彼に吸引されます。ほらもう、あっという間に選手に浸透しましたよね。義経選手がボールを持ったら、自分はスペースを見つけて走り込んでいけばいいだけ。エスペリオン全員が前を向きました。」
『アオアシ』杏里の言葉です。
メッシ擁するインテル・マイアミが、サウジアラビア、さらに来日し、神戸と対戦をしました。
インテル・マイアミには、メッシの他に、ブスケツ、アルバ、スアレス等、最強バルサ時代の後のMSN時代のメンバーが所属しています。
慣れ親しんだ彼らの顔が見れるだけで満足ではありますが、それでもフットボールをするのであれば、そこは平等で残酷な勝負の世界、嬉しさとともに自然と鋭い目で観てしまいます。
インテル・マイアミの選手は個人のレベルは低いです。サウジのチームはミトロヴィッチ、ミリンコヴィッチサヴィッチ等所属する選手個人のレベルは高いものの、個人頼りのフットボールである為、チームとして機能していないように映りました。
インテル・マイアミも同様です。
味方同士の間隔が間延びし、関わる選手はボールを持った選手ともう1人だけ、さらに相手チームも同様に間延びしている為、スペースばかりがあり、フットボールの醍醐味である頭を使ったプレイや選手同士の化学変化を観る事が出来ません。
スローインの連続という昨シーズン観たフロンターレVSベルマーレの試合程ではないにしても、有名な選手を並べるだけでは質の高いフットボールを披露する事は出来ない事を再確認しました。
また、メッシのボールを吸引する力は衰え、ブスケツはすぐ倒れ、アルバも届いていたはずのボールに届かなくなり、スアレスはスピードがなくなり、彼らの最高の状態を知る私としては、仕方ないと納得する部分はあるものの、どこか悲しい気持ちになってしまいます。
それでも、女性レフェーリーであろうが関係なく、キレるスアレスの心は「あの頃」と何も変化している様子はなく、嬉しかったです。
…クロップ、シャビ、モウリーニョ…
2024年になり、退任を発表若しくは解任された監督です。
クロップとシャビは今シーズン限りの退任を発表。
モウリーニョは、成績不振により解任されました。
私は、モウリーニョこそ、最もプロフェッショナルではないかと感じています。
最後まで、経営陣と揉め、その中でもチームが勝利する方法を模索するが、結果が出ない中、解任される。
退任は、落ち目となる前に去るという逃げと捉える事も出来ます。
勿論、世界中の注目と批判の中、監督をしていく彼らには最大限のリスペクトとともに拍手を送りたい気持ちです。
しかし、仕事と捉えるのであれば、決められた契約期間の間は、自らの去り際ではなく、チームが勝利する事だけを考え行動する事こそ、プロフェッショナルと捉える事も出来ます。
勿論、心と身体の健康を1番優先させるべきですし「生きる為の逃げは有り」です。
それでも、フットボールの醍醐味とは、どれだけ屈辱的な敗北をしても、どれだけ痛烈な批判をされても、どれだけの裏切りにあっても、その数日後には何食わぬ顔でピッチに現れ、そのプレイでその戦術で、そしてその存在感で世界中を黙らせる男達の生き様を観る事であると私は感じています。
現代の世界観とは異なる価値観かもしれませんが、私がフットボールに最も惹かれる理由はそこです。
彼がボールを持つと、チーム全員が自然と前を向く。
これはフットボールに限らず、どのような仕事や人生にも当てはまる哲学ではないでしょうか?