いいえ。人生という名の戦いです。平穏に真っ当に己の信念に寄り添いながら。時に棹差し時に隠し‥それでも決して手綱は離さない。川中島だって目じゃない。長い長い人生という名の戦いです3

 

 「あなたは、張り詰めすぎです。過酷な状況こそ、こうして休息はしっかり取らないと。」

 「そーいうもんかな‥。」

 「そーいうもんです。それに夫婦なんですから、お背中流すのに一々照れてどうするのですか?」

 「‥照れてるわけじゃない。苦手なんだ風呂。緊張や戦の勘が湯に溶けていくようで‥。」

 「私がご武運を濯いでいると?」

 「そ、そういう意味ではないっ。」

 

 「あなたは、張り詰め過ぎです。休める時はしっかり休まないと、本当の戦いの前に倒れてしまいます。」

 「本当の戦い?何か控えていたか?」

 「いいえ。人生という名の戦いです。平穏に真っ当に己の信念に寄り添いながら、時に棹差し時に隠し‥それでも決して手綱は離さない。川中島だって目じゃない。長い長い人生という名の戦です。」

 『地獄楽』画眉丸夫婦の会話です。

 

 

 

 この世で、最もかけがえのないものは、何だと思いますか?

 私は「時間」であると考えています。

 

 あなたは、世界一の投資家ウォーレン・バフェットになりたいですか?

 私は、なりたくありません。

 その理由は、彼が90代で、残りの人生があと少しである可能性が非常に高いからです。

 

 

 時間を有効に使う為には、より生産的になる必要があります。

 昨今よく使われる「生産性」という言葉。

 私には「より生産的になる」という言葉の定義がそれぞれバラバラである、否、その定義すら考えずに使われているように写ります。

 

 私が考える生産性の定義は「楽しいと思える事や有意義だと感じる事をする。その一方で大切な人と一緒に過ごす事」です。

 無意味だと感じる事をして時間の大半を過ごし、出来れば他の場所で他の事をして、現在いる人と異なる人と一緒にいたいと感じているのなら、時間を有効に使っているとは言えません。

 

 

 ただし、自分の立場と役割に喜びや楽しみを見出せなくても、意味を見出す事は出来ます。

 

 辛い仕事かもしれませんが、その仕事により家族を養い、子どもに明るい未来への扉を用意する事が出来るかもしれません。

 ストレスが溜まる仕事かもしれませんが、人々の暮らしに役立っていると、満足感を得る事が出来るかもしれません。

 退屈な仕事かもしれませんが、同僚や顧客等と交流を図る事が出来るのは、その退屈な仕事があるお陰かもしれません。

 

 意味を見出す事が出来れば、これらの仕事も生産的と言える行動であると、私は考えています。

 

 

 

 つまり、時間を有効に使うというのは、大切な人の為に尽くすのを避け、気ままに自分のしたい事をする事ではないのです。

 そのような「自由」は、意味がない事が多いです。

 「自由」とは、他の人達や何かの為に貢献する責任を伴う、難易度の高いものなのです。

 

 

 あなたの「生産性」の定義は、どのような定義でしょうか?