いいえ。人生という名の戦いです。平穏に真っ当に己の信念に寄り添いながら。時に棹差し時に隠し‥それでも決して手綱は離さない。川中島だって目じゃない。長い長い人生という名の戦いです4

 

 「あなたは、張り詰めすぎです。過酷な状況こそ、こうして休息はしっかり取らないと。」

 「そーいうもんかな‥。」

 「そーいうもんです。それに夫婦なんですから、お背中流すのに一々照れてどうするのですか?」

 「‥照れてるわけじゃない。苦手なんだ風呂。緊張や戦の勘が湯に溶けていくようで‥。」

 「私が、ご武運を濯いでいると?」

 「そ、そういう意味ではないっ。」

 

 「あなたは、張り詰め過ぎです。休める時はしっかり休まないと、本当の戦いの前に倒れてしまいます。」

 「本当の戦い?何か控えていたか?」

 「いいえ。人生という名の戦いです。平穏に真っ当に己の信念に寄り添いながら、時に棹差し時に隠し‥それでも決して手綱は離さない。川中島だって目じゃない。長い長い人生という名の戦です。」

 『地獄楽』画眉丸夫婦の会話です。

 

 

 

 人生というゲームを降りない事。

 私達は、生きていく上で、あらゆるゲームに参戦しています。

 生まれた家族の下でゲームに参戦する為の基礎戦闘能力を身に付け、学校、仕事、そして、自分自身の家族を持つ、その時々であらゆるゲームに参加をしています。

 

 

 

 J・K・ローリングがシリーズ第一弾『ハリーポッターと賢者の石』を書き上げた時、彼女は、無名の1人の女性に過ぎませんでした。

 彼女は、小説を書く事が好きでしたが、中々小説を書く事に集中出来る環境に、身を置く事が出来ませんでした。

 結婚生活にも恵まれず、子どもを抱えて、離婚をします。

 

 さらに、鬱病も患います。

 働く事も出来なくなった彼女は、生活保護を受けながら『ハリーポッターと賢者の石』を書き上げます。

 ところが、後に世界中で大ベストセラーとなるこの作品は、12社の出版社から出版を断られています。

 それでも諦めなかった彼女は、13社目にしてようやく出版が決定し、後の物語は、世界中の人が知る所となります。

 

 

 彼女に、どんなに才能があっても、途中で「小説家になる」というゲームから降りていたら、彼女の夢は実現しませんでした。

 

 

 

 私は、学校というゲームから、降りてもいいと考えています。

 仕事というゲームから、降りてもいいと考えています。

 結婚というゲームからも、降りていいと考えています。

 

 しかし、人生というゲームからは、降りてはいけません。

 

 

 今日だけで見たら、マイナスばかりの人生かもしれません。

 ただ、長期的に見れば、必ずマイナスとプラスの出来事が入り込みます。

 結果は、マイナスの出来事がほぼ半分、プラスの出来事がほぼ半分となるのです。

 

 人生というゲームから降りてしまう人は、このような長期的な視点を持つ事が出来ません。

 その為、マイナスの出来事が続いた時に、人生というゲームを降りてしまうのです。

 

 

 良い人生か悪い人生どうかを決めるのは、人生というゲームを降りるか・降りないかの、差に過ぎないのかもしれません。