…今日の夕方。羽川に聞いた話…
「中学の頃、彼女の噂はいっぱい聞いたわ。有名人だったからね。すごく人あたりのいい、いい人だって。すごく明るくて社交的で。お父さんが外資系のお偉いさんの素封家で。お家もすごい豪華で。なのに全然気取ったところがなくて、高みにあってさらに高みを目指してる人だって。」
…超人みたいな奴だ。そう。戦場ヶ原は超人を目指したのだ。母親のために…
…私はこんなに元気だよ。こんなに速くて強くて。明るくなんでもできて。こんなに‥こんなに‥だから…
…だから戦場ヶ原は、歪んでいった…
…戦場ヶ原は、必死に支えようとしたのだろう。元々病弱な体にムチを打って超人を演じることで、母親を支えようとしたのだ…
…しかし、戦場ヶ原が完璧であろうとすればするほど、母親はむしろ宗教にのめり込んでいく。それらは全て教義のおかげであると考える悪循環。幹部のクソ野郎に襲われたことすら、母親なりの歪んだ愛だったのかと思うとやりきれない…
…だから、切った。それを神に望んだ。重すぎた母の愛を受け止めきれなくなった時に…
『化物語』阿良々木暦の脳内言葉と羽川翼の言葉、戦場ヶ原ひたぎの脳内言葉、そして、阿良々木暦の脳内言葉です。
人は、物を見る時、色を識別する事が出来ます。
リンゴは赤色、晴れた日の空は青色、葉は緑色に見えます。
では、何故そのように見えるのでしょうか?
それは、物が太陽や電気等の光を受け取ると、特定の光だけが反射され、その反射した光が目の網膜を通って電気信号に変わり、脳内でイメージとして映し出されるからです。
目には、赤・青・緑の光を判別するセンサーのような役割を持つ視細胞があり、それぞれの色の光を感じ取る割合で、脳内でイメージする色が決定します。
つまり、リンゴが赤色に見えるのは、リンゴが赤いからではなく、リンゴが赤色の光のみに反射しているからなのです。
これに対し、目に見えないとは、光を当てても、全く反射しない事を意味します。
宇宙の中で、人が見る事が出来る物の割合は、5%とも言われています。
人は、赤・黄・青・紫まで、いわゆる虹色の世界と言われる特定の範囲の波長の光しか見る事が出来ません。
赤の外側には赤外線、紫の外側には紫外線があります。
しかし、人は赤外線や紫外線を見る事は出来ません。
ただ、ヘビには赤外線が見え、昆虫には紫外線が見えている事が分かっています。
同じ生物でも、見えている世界が全く異なるのです。
これは、人間関係においても、同様の事が言えます。
人間関係のトラブルは、自分が認識していない、相手の見えていない部分が原因である事が多いです。
人は、表面的な見えている言動のみで、相手を判断してしまいます。
相手の見えている部分は一部分であるにも関わらず「この人はむかつく」「なんて意地悪な人」「この人嫌い」と、まるで相手の全てを見えているかのように勝手にレッテルを貼っていきます。
人間関係においても、見えている部分のみで理解した気になるのではなく、見えていない部分を理解しようという姿勢が大切である事がわかってきます。
「でも、それは間違いでした。後悔しない日は…1日だってありませんでした。だから、お母さんを、お母さんを私に返してください…あの時、あの時の、お母さんの笑顔(おもい)は、私だけのものだから…」
「別に悪いことじゃないんだけどねぇ。立ち向かえれば偉いというわけじゃない。逃げたきゃ逃げればいいのにさ。でも、君がこういう形を望むのなら、それが今の君の想いなんだろう。」
『化物語』戦場ヶ原ひたぎの言葉と忍野メメの言葉です。