「難しく考えすぎなんだよ。世界は、そんな複雑じゃない。強くなったとか、偉くなったとか、金を稼いだとか、善行を積んだとか、正しくいたいとか、正直でいたいとか、そんなコトは重要じゃないんだ。」
「お前は、オレを魅せない。だから、オレと戦えない。魅力的じゃないモノを、オレは世界に入れないからな。」
「何を言っても、何をやっても、現実は常にシンプル。いらないモノを入れなければ、オレの世界は、いつもゴキゲン。」
「今は特にだけど、そもそも人生ってのは酷く短い。だから、オレを魅了してくれない奴を、ゆっくり見てる時間なんかないんだ。」
「‥焦らせて、手を読むつもりか?その手には乗らねぇぞ。」
「そんなんじゃないって!5分待つ間暇なだけ。」
「誰だって本当は、好きなモノと好きな人だけ見ていたい。でも、下らないモノを世界にどんどん入れちゃうから、見たくもないモノを見なきゃいけない時間が増えるんだ。」
「お前は、友達としては魅力的だけど、敵としてはオレを魅せない。友達だから教えるんだ。もう少し急いだほうがいい。いつまでもオレを魅せないなら、見なくて済むようにする。ゆっくりする時間は、オレにしか残ってないんだ。」
『ジャンケットバンク』叶黎明の言葉です。
私は、最近、友達より敵の方が、価値が高いのではないかと考えています。
否、価値が高いのではなく、友達との関係より、魅せてくれる敵との関係の方が、カッコいいという表現が合っているでしょうか?
あなたが、生きる為に働く必要がなくなり、地位も、名誉も獲得したら、どうなるでしょうか?
十中八九、人の好き嫌いが、激しくなるはずです。
これは「自然の摂理」であり、成功したら好き嫌いが激しくなるのではなく、成功する事により、人は、本来の好き嫌いを正直に出す事が出来るようになるのです。
生きる為に働く必要がある場合、好き嫌いを正直に出す事は禁じられており、自分の本心に関係なく、八方美人を演じ続ける事が、求められます。
あなたも経験があると思いますが、能力が自分よりも劣る嫌いな人に対して、愛想笑いをする事程、苦しい事はないはずです。
しかし、虚心坦懐に人生を考えた場合、人生は、好きな人と、好きな事だけをして、生きていけばいいのです。
勿論、好きだけでは生きてませんが、そんな事は、通常の脳機能を持っている人であれば、承知のはずです。
学校では「誰とでも仲良くしましょう」等と習いますが、これは間違いです。
誰とでも上手く過ごす能力は必要ですが、誰とでも仲良くする必要はありません。
寧ろ、あなたに纏わりつく、能力が劣る魅力的ではない人物からは、嫌われる位の方が、いいです。
人が集まると、新たな発想が湧くという話は、個人の能力が劣る者が解決策がない時に、言う常套句です。
能力が劣る魅力てきではない人同士が集まっても、互いに足を引っ張り合いながら、空中分解する事は、あなたも理解出来るはずです。
起業をする時、誰かと一緒に、起業をしない事です。
成功するのか、失敗するのか、わからないのであれば、まずは、1人で始めなければなりません。
「1人で抱え込まない方がいいよ」
「大切なのはチームワークだよ」
このような言葉を発し、すぐに、自分の能力と魅力の低さを忘れようとするのが、多くの人の常套句です。
自信がないから、不安があるから、怖いから、1人でやってみるのです。
1人でやってみると、ありのままの実力が浮彫りとなり、能力や魅力に劣る人と傷を舐めあう事も嫌になるでしょう。
ニーチェは『道徳の系譜』の中で「圧倒的多数の弱者のルサンチマン(弱者の強者への嫉妬・復讐心等)をくすぐる為に、道徳は悪用された」と警鐘を鳴らしています。
道徳を疑いましょう。
あなたを魅せる人は、誰ですか?