「お前様が明後日死ぬのなら、儂は明々後日まで生きて、誰かに、お前の話をしよう。我が主様の話を誇らしく、語って聞かせよう。」
『化物語』キスショットの言葉です。
徳川家の天下は、大阪城で始まり、大阪城で終わりました。
私は『どうする家康』において、秀吉が死んだ以降の、狡猾な家康をどのように描くのか注目していました。
関ケ原においても、大阪の陣においても、家康の主張は戦をしたいが為の言いがかりであり、大義は、三成や秀頼にありました。
否、戦がしたいが為というよりも、後世に徳川家を残す為の家康なりの家族を想った行動だったのかもしれません。
『どうする家康』においては、戦を二度と起こさない為に、戦国乱世の生き残りである真田幸村・淀殿・秀頼を亡き者にする…。
戦国乱世の生き残りである者の犠牲の上に、平和を構築するという大義を作り、描いていました。
事実、家康の目論見通り、徳川家の江戸時代は260年の平和を、日本にもたらしました。
私は、この260年が日本を停滞させたのではないかという仮説を持っていますが、現在は異なる仮説も持ち併せています。
戦がなくなった後の、大名は、どのような1日を過ごしていたと思いますか?
大名は、午前中に儀礼、午後に学問・趣味、夜は子作りという、毎日を送っていました。
儀礼とは挨拶の事であり、つまり挨拶をすませた後の大名は、好きな事に没頭出来る時間が膨大にあったのです。
私は、この江戸時代の価値観が、現在にも続く会社に出勤だけして実績を上げていないにも関わらず給与だけは貰い続けるという多くの公務員・会社員の世界観を作り出していると仮説しており、この世界観が日本の生産性を低下させていると感じています。
その一方、仕事をしなくてもいい暇な時間が、伊藤若冲・葛飾北斎等に代表されるような日本芸術、現代でも受け継がれている落語、さらには動物・植物・昆虫等の生物学の発展に寄与されたという仮説も持ち併せています。
これが、現在日本が世界に誇る事が出来る数少ない1つである、漫画・アニメの基礎を築いたと私は感じています。
信長が茶器に価値を持たせたように、情報交換や交渉をするには、得にも損にもならない話から始める事が寛容です。
得にも損にもならない話には、趣味が最適です。
趣味で繋がり、そこから、各大名は、幕府の内情や米の相場・取れ高等の情報交換や交渉をしていきました。
大阪の陣で家康が豊臣家を滅びし、始まった徳川の天下。
偶然か必然か、260年後、圧倒的優勢の中、慶喜は大阪城から逃げ出し、維新軍と戦う事を拒否してしまいます。
否『どうする家康』の世界観に照らし合わせるのなら、戦を二度と起こさないという家康の願いを、慶喜が実行したと捉える事も出来ます。
2024年が、始まりました。
後世に語り継がれる事までは望みませんが、大切な家族が誇らしく語って聞かせるような生き方をしてみたいと感じています。