「トレーニングの前にさ、ちょっとだけ質問…キミらにとってサッカーって何?」
「えっとそりゃまぁ夢。」「それ一択。」「人生を懸けるに値するモノ。」
「なるほど。10代らしく凄ぇ純粋(ピュア)な答えだね。でもじゃあそれが、叶わなかったらどーする?サッカーを失ったら、キミたちには何が残る?」
「サッカーに情熱を燃やすコトは、悪いコトじゃない。でも、もし怪我や挫折、いろんな理由でサッカーができなくなる日が、いつか来たらキミはどーする?」
「この答えに答えられない人間は、夢に生きてるだけの素人(アマチュア)だ。プロフェッショナルは、勝つコトが義務だよ。それで俺らはお金もらって、ご飯が食べられる。その本質から逃げちゃいけない…サッカーは、仕事だ。」
「このユーヴァースというチームを一つの会社だと考えてみてくれ。そーなると、試合は経営。キミたちは、そこで働く社員だ。ここにいる全選手のデータから俺が導き出した、ゲームプラン・オフェンス・ディフェンス・シチュエーション。全ての戦術パターンが、ここにある。」
「全部アンタが考えたのか?」
「うん。ここにあるプレーを全て頭に叩き込んで、遂行すれば絶対勝てるよ。だから、もしここにないパターンが起こって負けたら、全責任は社長である俺のせいだ。社員のキミたちに責任はない…仕事狂(ビジネスライク)にいこーぜ。戦術の手足となれ。少年たち。」
『ブルーロック』マルクの言葉です。
ミラン・インテル・ナポリ。
チャンピオンズベスト8に、イタリア勢が最も多く残りました。
長年イタリアサッカーを応援している私としては、誇らしい気持ちです。
そして、ミラン:ピオリ、インテル:シモーネ、ナポリ:スパレッティ、マドリー:アンチェロッティと、ベスト8に残ったチームの4チームがイタリア人監督です。
正直、セリエAのレベルは、プレミアに劣り、リーグアンにも劣るというのが私の見解です。
暇なイタリア人が、レベルで劣るフットボールに後付けで、落とし込んだものが戦術なのではないかと感じる事もあります。
たとえば、マリー・アントワネットが、実は臆病で、いつもちょっとした事で不安に怯えてばかりだったとしたら…。
だから、その不安を1つ1つ乗り越えて、1つ1つ強くなっていったとしたら…。
乗り越えるべき最後の1つが、ギロチンによる処刑だとしたら…。
当時のフランスは、貴族と平民が対立し、分裂していました。
それは、フランス革命が起こるずっと以前からの話です。
この混乱を終え、再び国を1つにするものが何かを考え続けた末の彼女の答えが、自らの死でした。
民衆の為なら、自分の身等惜しくないという誇り高き王妃、それがマリー・アントワネットだったのです。
マリー・アントワネットの死を意味のあるものにするという戦術を描くのであれば、私はこのように描きます。
「ジジと、また逢えるのは嬉しい事だ。彼には、プロとして大きな尊敬の念を抱いているし、友人としても大きな愛情を感じている。」
「アンチェロッティ?誰を応援すべきかわからない時は、アンチェロッティを応援してほしい。厳しい世界において、自然と称賛を勝ち取った人物だ。他の人が持っていない何かを持っているのだと思う。」
18/19シーズン、当時ナポリ指揮官であったアンチェロッティが、パリでチャンピオンズデビューを飾るブッフォンに送った言葉と、これに対するブッフォンの返答です。
フットボールは、仕事です。
その1試合、またはそのチームでの戦いは、人生という長い戦いから見たら、些細な事です。
そして、そこでの敗北も屈辱も失敗も、取り戻す事が出来ます。
それでも、その積み重ねた1試合1試合が、どこかで他の誰かと繋がり、上記のアンチェロッティとブッフォンのような関係性を構築する事が出来た時、フットボールは人生となるのではないかと感じています。