「謙虚に言わせてもらって、この軸跡は自分個人の決断で終わらせるにふさわしかったと思う。自分の収めている成果が、僕達の代表チームにふさわしいものではなかったとしても、それが聞いた事もない年齢や他の理由の為であってはならないはずだ。若いか若くないかは、美点や欠点ではなく、一時的な特徴に過ぎない。そこに結果や能力を紐づける必要はないんだ。」
「僕は、モドリッチ・メッシ・ペペ…と、他の選手達に賞賛と羨望の眼差しを向けている。そこには、フットボールにおける正義・能力主義・価値観・伝統・本質があるんだ。だけど、悲しい事に僕の場合はそうじゃなかった。フットボールは、いつも公正ではない。フットボールは、フットボールだけじゃないからだ。」
2023年2月、スペイン代表監督から、今後代表チームに召集しない旨を伝えられたセルヒオ・ラモスの言葉です。
ラモスが、マドリーではない白い子どもの頃からの彼の、否、彼の家族の憧れのユニホームを着て、マドリーをセビージャに迎えました。
「子どもの頃からキャプテンになる事を夢見ていた。今、その夢が実現した。」
誰よりも、キャプテンが似合う男は、パリ・セビージャとキャプテンマークを巻いていないにも関わらず、誰もがリーダーと認めざるを得ない存在感は、唯一無二です。
世界で最も有名な絵画であるモナ・リザ。
実は、モナ・リザは、未完成の作品です。
細部をよく観察すると、爪の部分が塗られていません。
ダヴィンチは、死ぬ寸前まで、モナ・リザと向き合っていました。
そんなダヴィンチですが、実は彼が完成させた作品は、十数品しかありません。
その理由は、彼の完璧主義にありました。
「作品は完璧なものでなければならない」という彼の信条の下、完璧でない作品は途中で放棄し、依頼内容と異なる作品を作り30年以上依頼主と裁判を続ける等、彼の完璧主義は、最後まで作品を作り終える事が出来ないという芸術家として致命的な欠点を生み出しました。
否、最後まで作品を作り終える事が出来ていない不完全さこそが、モナ・リザを始めとする彼の作品の魅力なのかもしれません。
モナ・リザは、同性愛者であったダヴィンチが描く理想の中性的な存在、幼き頃に分かれた母・カトリーナの母性等、様々な解釈をする事が出来ます。
このように、後世においても、様々な解釈を与えてくれるのも、モナ・リザが完成されていないからかもしれません。
奇しくも完璧主義のダヴィンチの、完璧ではない所に、ダヴィンチ作品の魅力があります。
完璧な人等、存在しません。完璧な人生も、存在しません。
仮に、完璧な人や人生があったとして、そこに何の面白さがあるでしょうか?
私が、フットボールを観る目も同じです。
完璧ではない人が、完璧ではないチームを構成し、その中で、完璧に近い解を探していく。
その過程で、選手と監督、選手とチーム、監督とチームが衝突していく。
歴代最強チームと歴代最高の選手と同じ時代に生まれ常に比較をされ、歴代最強選手に近づいたと思ったら、その頃には両者ともキャリアの終焉を迎える時期となる。
歴代最強代表チームの一員の中、ワールドカップ・EURO連覇を達成したが、キャリアの最も輝かしい時期にはチームは低迷期にあり、最後の舞台となるEUROにも呼ばれず、自身の決断ではなく年齢を理由に代表招集を拒まれる。
自身と家族のマイチームではないチームに最強となる為、忠誠を誓い、選手としてキャプテンとして貢献を続けてきたが、経営者の判断により忠誠を誓ったチームを追われる。
ラモスのフットボール人生も、完璧ではありません。
完璧ではないフットボール人生を、顔を上げ、前だけを見て、突き進むからこそ、その男の背中は誰よりも、かっこ良くなるのです。
「それでも、僕はこの悲しみを受け入れる。この気持ちを君達と共有させて貰いたい。そして、顔をしっかりと上げ、これまでの年月と君達のサポートに大きな感謝を伝えさせて貰う。皆で一緒に戦い祝った全てのタイトルと、最多出場のスペイン代表選手になれたという巨大な誇りと、ボクは決して忘れられない思い出を連れていくんだ。」
この男は、どんな時も顔を上げ、前だけを見ています。
それこそが、キャプテンなのかもしれません。