「非術師は嫌いかい?夏油君。」
「分からないんです。呪術は、非術師を守るためにあると考えていました。でも最近、私の中で非術師の‥価値のようなものが揺らいでいます。弱者故の尊さ。弱者故の醜さ。その分別と受容ができなくなってしまっている。非術師を見下す自分、それを否定する自分。術師というマラソンゲーム。その果ての映像(ビジョン)があまりに曖昧で、何が本音か分からない。」
「どちらも、本音じゃないよ。まだ、その段階じゃない。非術師を見下す君。それを否定する君。これらはただの思考された可能性だ。どちらを本音にするのかは、君がこれから選択するんだよ。」
『呪術廻戦』九十九と夏油の会話です。
私は、2013年から高齢者を対象にしたケアマネジャー、2015年から障害者を対象にした相談支援専門員を、仕事の1つとしてやってきました。
その過程で「介護福祉士」「社会福祉士」「精神保健福祉士」「公認心理士」「保育士」等の試験に合格し「主任ケアマネ」「主任相談支援専門員」の資格も取得してきました。
しかし、レベル上げをしていく度に、この仕事のネガティブな面ばかりが浮彫りとなり、この仕事は、若くて能力のある人がやる仕事ではないという結論に、現在は至っています。
「わかんない。」「やって貰っている。」
高齢者が介護保険を利用して、訪問介護(ヘルパー)やデイサービス等を利用する為には、私達、ケアマネジャーが作るケアプランが必要となります。
ケアプランには、訪問介護やデイサービス等を利用する目的(ニーズ)が、必要となります。
その目的に沿って、ケアマネジャーが目標を考え、その目標達成に向けて、訪問介護やデイサービス等の各介護保険サービスがサービスを提供していくという仕組みになっています。
しかし、その目的を高齢者に聞いても「わかんない。」「やって貰っている。」等の返答しか返ってこない人が一定数存在します。
「わかんない。」「やって貰っている。」等のニーズを起点とし、目標を立てる事自体が、そもそも無理ゲーです。
「ダメだ‥考えることを放棄している。」
『進撃の巨人』アルミンの言葉です。
日本は、考える事を放棄していても、世界最強の社会保険システムにより、支援を受ける事が出来、何となく生きていく事が出来る社会です。
率直に申し上げると、そのような人達の人生の後処理をするという事が、ケアマネの仕事の1つとなっています。
上記のような高齢者に対し、区役所の方と情報共有させて貰った事があった時に、私が上記のような話をした時、区役所の方から「そういう人達を支援するのが介護保険の理念ですから。」と言われた時には、流石に私自身、殺気を出してしまいました。
まあ、区役所で働くような公務員の中には、考える事を放棄している人が多いのですが‥。
①求められる仕事に対して、給料が安い
②精神的に疲弊する
③資格の維持が大変
ケアマネがケアマネを辞める要因を分析すると、上記の3つに分類する事が出来ます。
ハラスメントのようなわかりやすい迷惑高齢者に加え、上記のような考える事を放棄している高齢者も、②精神的に疲弊する事の1つの例です。
考える事を放棄している人は、自分では何の行動も努力もせずに、他者が自分達の生活を何とかしてくれると思っています。
トラブルが生じる「人間関係」や、面倒な「人間関係」は、皆、同じパターンで成り立っています。
どの場合も①犠牲者②迫害者③救済者の3者が登場人物です。
1人1人が悪いという事もありますが、それ以上に、関係性が悪いのです。
「自分の所に受診に来る人は、大体人間関係に困っていて、全員がこのトライアングルにあてはまっている。」
1968年アメリカの精神科医であるカープマンは、この悪い人間関係を「DDT(恐怖のドラマトライアングル)」と名付けました。
考える事を放棄している人は自分の事を①犠牲者であると感じています。
そして、このような人の場合、生活能力が低い事を多い為、訪問介護が1日複数回入る等する事が多いです。
訪問介護を提供する人の中には「助けてあげたい」「放っておけない」という気持ちを持っている③救済者のマインドを持っている人が多いです。
③救済者マインドを持つ事は、悪い事ではありませんが、それが強過ぎると、問題は複雑化していきます。
実は、③救済者がいる事で、①犠牲者の能力が、さらに低下していくのです。
③救済者が①犠牲者の問題を代わりに解決してあげてしまう為、①犠牲者自身に問題を解決する能力が身に付かず、①犠牲者はますます考える事を放棄していきます。
さらに、③救済者は、無意識の下で、③犠牲者を「弱い人」と認定して「自分は弱い人を助けなきゃ」「あの人は私がいないと駄目」等という気持ちで、①犠牲者に接していきます。
③救済者が①犠牲者を「可愛そうな人」と決めつける事で、①犠牲者自身も「自分は可哀想な人」と思い込み、却って無力感が強くなっていくのです。
さらに、奥深い問題として、そうした③救済者マインドで、訪問介護等の自社サービスをどんどん増やし、客観的に見て必要のないサービスまで提供をし、「自分達は正しい事をしている」と何の疑いも持たずに、報酬を受け取り続けるという事態が生じています。
超お金持ちと高齢者(年金生活)・生活保護受給者等の考える事を放棄している人達にとっては、日本程、暮らしやすい国はありません。
治安は世界一ですし、支払った額の7倍の年金を受給出来、家賃も医療費も介護保険利用料も支払わずに暮らせるのですから。
しかし、働く世代にとっては、日本程暮らしにくい国はないのかもしれません。
社会保険料も、税金も上がり続け、必死に働いたお金は、年金を殆ど収めていなかった高齢者に年金として支払われるような国に、住み続けたいと思うでしょうか?
私の会社は「介護を受ける人が幸せになる為に、まずは、介護で働く人を幸せにする」という世界観を提唱しています。
その取り組みの1つとして、カウンセリング・スーパービジョン等の仕事をしています。
申し込みをしてくれる中に、ケアマネも多く、精神的に疲弊をし、鬱病を発症し、辞めていくケアマネが後を絶ちません。
そして、上記のように辞めていく人には、若くて能力のある人ばかりです。
残念ながら、ケアマネの殆どが上記のような悩みを分析したり、その為に行動する事等せず、特に何も考えずに日々の仕事をしています。
つまり「何か方法がないか」と考え、行動出来る数少ないケアマネが、私の所にまで辿り着いてるのです。
当初、私は「一緒に頑張っていきましょう。」等というメッセージを伝えていました。
しかし、最近では、異なるメッセージを伝えています。
そのメッセージとは「辞めた方がいいですよ。」というものです。
そして、仕事で抱えたストレスは、どうしても帰宅した後、家族に向いてしまいます。
20代・30代で、能力が高く魅力的な人であれば、素敵なパートナーや可愛い子どもと生活を共にしている可能性が高いでしょう。
安い給料の中、ストレスに囲まれ、仕事において成長する事もない中、家に帰り、その負の連鎖が、家族に向いてしまう事程、悲しい事はありません。
そのような現状を変えようにも、多くの50~60代の「おばちゃんケアマネ」や考える事を放棄している公務員は、そこに疑問すら感じていません。
若くて能力のある人が、そこを変えようとしても、ストレスがさらに積み重なるだけです。
それであれば、辞めてしまった方が、良い選択であるというのが、現在の私の解です。
医療や介護の大半は、高齢者に対するものです。
これは、国の未来に、良くありません。
国という大きな視点で見ると、これは、若い労働力が、高齢者の為に使われているという事は、未来ある者の能力や時間を高齢者に投資されてしまっている事になります。
このような事を、言える業界になってほしい。
そして、このような事に、興味を惹かれる人がいる業界であってほしい。
これが、私の現在の願いの1つです。