「これがメッシ。物語の主役になる男。とんでもない役者。」
「85分の段階で今シーズンのパリサンジェルマンは終わったと思っていました。どちらを応援しているわけではないけど、涙が出てきます。」
マルセイユ、モナコ、バイエルンに3連敗を喫し迎えたリールとの一戦、85分まで2対3で負けており、そこから逆転弾を決めたメッシに対する西さんの実況とダバディの解説です。
メッシは、90分間何もしていませんでした。
窮地のパリに息を吹き返す先制点を1人で決めたのも、同点弾を近年のパリに似合わないハーモニーで決めたのもエムバぺでした。
この試合でメッシがした事は、アディショナルタイムにFKを決めた事だけです。
チームが窮地の状態でも、いつものように、ほとんどの時間をただ歩いていました。
それでも、フットボールとは面白いもので、90分間チームに献し続け走った選手ではなく、90分間歩いている選手が一振りで、その試合の主役になってしまいます。
サッリナポリ、ガスペリー二アタランタ、そして、ペップシティ。
計算し尽くされ、誰もチームに貢献しない事を許さず、淡々とパスが決まるチームが、過去10年間のフットボールの歴史を紡いできました。
ガスペリー二アタランタにおいて、10番で1人自由が許されていたパブが監督をと衝突した時も、チームはパブという個ではなく、チームを選択しました。
代表チームにおいても同様で、代表チームのクラブ化が進んでいました。
しかし、ワールドカップにおいて、現代フットボールにおいて最も走らない選手がいるチームが優勝を果たし、その選手は名実ともに、歴史上NO1の選手となりました。
フットボールが再び、合理的・計算し尽くされた流れから、物語を紡ぐ流れへと変化しています。
「謙虚に言わせてもらって、この軌跡は自分個人の決断でもって終わらせるにふさわしかったと思う。自分の収めている成果が僕たちの代表チームにふさわしいものではなかったとしても、それが聞いたことも感じたこともない年齢やほかの理由のためであってはならないはずだ。若いか若くないかは美点や欠点ではなく、一時的な特徴に過ぎない。そこに結果や能力を紐づける必要はないんだ。」
「僕はモドリッチ、メッシ、ペペ…と、ほかの選手たちに賞賛と羨望の眼差しを向けている。そこにはフットボールにおける正義、能力主義、価値観、伝統、本質があるんだ。だけど、悲しいことに僕の場合はそうじゃなかった。フットボールは、いつも公正ではない。フットボールは、フットボールだけじゃないからだ。」
スペイン代表監督から、今後代表チームに召集しない旨を伝えられたセルヒオ・ラモスの言葉です。
上記のリール戦、エムバぺの同点弾により、監督もチームにも、負けずに済みそうだという安堵感がありました。
そのような中「引き分けでは駄目だ。勝つぞ。」と背中で語っていた男、それがラモスでした。
セットプレイでもなく、試合が終了しそうな中、負ける事のリスクを度外視し、ラモスがいたのはゴール前でした。
エムバぺのクロスに対し、苦言を呈する事は、メッシでもネイマールでも出来ません。出来るのは、世界中でラモスだけです。
このラモスの姿勢が、メッシの逆転劇を呼ぶ物語のきっかけになったと私は感じています。
プレイヤー(会社員)が、絶対に避けなければならない事があります。
それは、上司や会社が変数になってしまう事です。
多くの会社では、人が変数となっています。
「上司ガチャ」「新卒ガチャ」という言葉が生まれた背景には、良い上司に恵まれるか、良い配属がされるか等で、部下の仕事の出来が決まってしまう事があります。
継続して結果を出し続ける会社である為には、人による変数をなくす事が原則となります。
つまり、どのような人が上司であろうと、どのような部署に配属されようと、部下にとって平等な職場作り、チーム作りが求められます。
近年、フットボールにおいても、上記のような流れが浸透していました。
しかし、私はフットボールにおいては、人が変数であってほしいと願っています。
子ども達は、変数となる伝説達に憧れ、毎日ボールを蹴る事に夢中となります。
私自身も、平等なチーム作りをするシティでもなく、チームとして強いバイエルンでもなく、最後にはいつも勝つマドリーでもなく、心惹かれるのは変数となる伝説の集まりであるパリです。
私が最も興奮するのは、スーパーゴール等ではなく、ラモスからメッシにパスが渡った瞬間なのです。
「それでも、僕はこの悲しみを受け入れる。この気持ちを君たちと共有させてもらいたい。そして、顔をしっかりと上げ、これまでの年月と君たちのサポートに大きな感謝を伝えさせてもらう。皆で一緒に戦い祝った全てのタイトルと、最多出場のスペイン人選手になれたという巨大な誇りと、ボクは決して忘れられない思い出を連れていくんだ。」
悲しみと怒りに塗れているであろう内心にも関わらず、前を向いて歩いていくというラモスらしい見事な言葉とともに、代表引退の報告は締めくくられます。
私の中で、ラモスはフットボール選手以上に、私の人生に様々な想いを与えてくれる存在です。