「昔のオレに戻りたかったんだ。残忍で冷酷なサイヤ人のオレに戻って、何も気にせず、貴様と徹底的に戦いたかったんだ。」
『ドラゴンボール』ベジータの言葉です。
七五三で神社に行った時、親に頼み『ドラゴンボール』カードを買って貰い、その時に欲しかった悟飯のカードが出た時の嬉しさは現在でも記憶に残っています。
セル編の悟飯がカッコ良くて、その時に着ていた悟飯の服が紫だった影響もあり、現在でも私は紫が大好きな色になっています。
小学校3・4年生の時、夏休みの10時から『Dr.スランプアラレちゃん』が再放送されており、朝起きて勉強をして、サッカーをして『アラレちゃん』を観る事が、夏休みの習慣になっていました。
当時CMを待つ時間が惜しくて、現在でも「大塚美容形成外科」「白樺リゾート池の平ホテル」等、当時CMで流れていた企業名まで記憶しています。
「こんなもんじゃない‥オレは、ベジータだ。敵がいくら強くても、オレはさらにそれを超える。」
「初めてですよ‥ここまで私をコケにしたおバカさん達は‥。」
『ドラゴンボール』ベジータとフリーザ様の言葉です。
「どうしようもないイモね。」
「むむ~あれがチタマか‥。」
「ふん、おろかものめ。」
『Dr.スランプアラレちゃん』キノコちゃんとニコちゃん大王、スッパマンの言葉です。
幼い頃に観た影響か、ベジータやフリーザ様程、濃いキャラクターを、私は観た事がありません。
ベジータ程になると挨拶は指だけで済ます事が出来、フリーザ様程になると謎の敬語と僕人称であっても成り立つ事を、幼き私は学びました。
幼い頃に観た影響か、キノコちゃんやニコちゃん大王、スッパマン程、笑えるキャラクターを、私は観た事がありません。
「多様性」等、誰も知らなかった時代、ペンギン村には「多様性」が存在していました。
私は、小学6年生の時、好きな絵を描くという「図工」の時間で『アラレちゃん』の世界観で、紙を2つに分け、昼と夜の世界を描き、その作品に『HOTとCOOL』と名付けた事を記憶しています。
勿論、太陽と月には顔を描きました。
他の小学6年生と明らかにレベルの違う世界観を描いた作品に、私はとても満足していました。
しかし、担任の教師は、その世界観を理解出来ない様子でした。
私は、その時から「他人基準」ではなく「自分基準」で生きていくべきだなと、何となく感じ、生きてきたような気がしています。
「自分基準」で生きていく事を、私は『ドラゴンボール』と『アラレちゃん』から、学びました。
未来で、宇宙旅行が当たり前になった時、宇宙から地球を観た時の私のセリフは、すでに決まっています。
勿論「あれがチタマか‥。」です。