でも、俺だけ強くても駄目らしいよ。俺が救えるのは、他人に救われる準備がある奴だけだ

 

 「先生、俺強いよね?」

 「あぁ生意気にもな。」

 「でも、俺だけ強くても駄目らしいよ。俺が救えるのは、他人に救われる準備がある奴だけだ。」

 『呪術廻戦』五条悟と夜蛾の会話です。

 

 世の中の全ての人が、他者と愛情を分かち合うような関係を築けるわけではありません。

 パートナーが見つからない人も、パートナーを信頼する事が出来ない人も、愛情や思いやりに欠けたパートナーと人生を共にせざるを得ない人も、たくさんいます。

 その理由は、どこにあるのでしょうか?

 

 答えは多々あると思いますが、私は、自分自身を欺き、自分を守ろうとする自己防衛の戦略を取った結果、愛に自らストップをかけている事が挙げられると考えています。

 フロイトはそのような戦略を防衛機制と呼び、キルケゴールは「人間は自己の認識を鈍らせる能力を持つ」と記しています。

 

 私の高校時代、私に好意を寄せてくる女性がいました。

 彼女は、自ら私にアプローチを掛けてきたにも関わらず、友達以上の関係になろうとすると自らストップを掛けるような言動をしていました。

 当時は「女心は分からないな。」程度に思っていましたが、私はその後も、恋愛に限らず、友人からも、仕事上で関わる人においても、似たような経験を複数回重ねてきました。

 誰かと親密な関係になり裏切られる位なら、親密な関係にはならないという自己防衛の戦略を、彼女達は自分でも気づかぬ中で取っています。

 話をしていく中で、彼女は幼い頃に両親が離婚をし、父親との関係を構築出来なかった事をずっと引きずっているようでした。その為、男性と友達になる事は問題ないけど、それ以上の関係になると自分でも知らない間にブレーキをかけてしまうようでした。

 このように自己防衛の戦略のほとんどは、幼少期の早い段階で、自分でも気づかぬうちに身につけられます。

 

 

 たとえば、アンというごく普通の、両親が大好きな女の子がいたとします。

 アンは両親の気を惹こうとしますが、両親から返ってくる反応は「うるさいわね。」等のネガティブな反応ばかりでした。

 成長過程の中で「注目を集める」という健康的な能力を伸ばし、その能力を磨く事を諦めなくてはならない事は、幼い子どもにとって苦しい事です。

 

 幼いアンは、想像力を懸命に働かせ、別の対応を取る事を考えました。

 アンは両親が注目をしてくれないのなら、反対に自分が両親に注目をする事で両親の気を惹く事が出来る事に気付きました。

 注目してほしいと思った時には、新聞を読むパパの隣に座り「何を読んでいるの?」等と尋ねるのです。

 するとパパは大抵、嬉しそうに反応してくれます。

 上記のアンの対応により、アンはパパにくっつく事が出来、両親の温もりを感じる事が出来ました。

 両親と愛着関係を築けるかどうかは、子どもにとって死活問題なのです。

 

 大人になってからもアンは、感情を表に出さず、他者に注目を向ける能力を伸ばしていきました。

 この能力は、とても素晴らしい能力です。

 問題は、自分自身が注目を浴びたいという心の叫びにアン自身が気付いていない事です。

 アンは、友達と食事をしている時にも「最近どう?」と必ず尋ねます。

 友達は嬉しそうに、色々な話をしてくれます。

 しかし、アン自身が自分の話、特に自分の感情について話をする事はほとんどありません。

 延々と話し続ける友人を前に、アン自身気付かぬ内に、フラストレーションが溜まっていきます。

 このフラストレーションが数十年分溜まれば、平穏な心を維持する事が出来ない事は、誰もが想像出来るでしょう。

 

 仕事上の関係や友達であれば、表面的な対応だけで関わる事に問題は生じません。

 しかし、恋人やパートナー、親子等の場合、表面的な対応だけでは、良い関係性を構築していく事は出来ません。

 たとえ、その場においては、非合理的であると思ったとしても、自身の感情を伝えていく事が必要です。

 そうすると、必ず衝突します。

 しかし、衝突を繰り返す中で、親密な関係を構築し、維持していく為に必要な事をお互いが学んでいくのです。

 自己防衛の戦略が働くと、そのような関係を築く事は困難になります。

 

 五条の言葉通り、人が救う事が出来るのは、他人に救われる準備がある人だけです。

 自身の自己防衛の戦略を知り、対策を取っていく事は辛い事です。

 欲求を満たす事を諦めるようになった、子ども時代の嫌な記憶が蘇ってくるかもしれません。

 それでも、自身の自己防衛の戦略を知り、対策を取る事は、人と長期的な関係性を構築していく上で不可欠であると感じます。