「あ鉄くん。や~たまには研磨もサッカー連れてってくれないかな~なんて。」
「?‥でも、研磨は行きたくないと思う。俺行きたくないのも、よくわかる。ちょっとでも行きたそうだったら、絶対連れてくけど、研磨はそうじゃない。でも、研磨は好きな事なら一生懸命やるから大丈夫。」
「‥そっか‥。」
『ハイキュー』研磨父と子ども時代の黒尾の会話です。
昨日『ハイキューゴミ捨て場の決戦』を観てきました。
客席は満席、観にきているのは8割が女性で、1人で来ている人も多く、皆、推しに逢う為にメイクをきちんとし、オシャレをして来ている所がアニメ映画を観に来る彼女達の特徴です。
私の生活に『ハイキュー』が欠かせなくなったのが2018年。
アニメを全部観た後、単行本を全巻揃えていた時の最新刊の表紙が「音駒高校」つまり、ゴミ捨て場の決戦でした。
その時に「最新の話も、音駒なんだ。」と感じ、とても嬉しく感じた記憶があります。
「好き」という言葉は、時に呪いとなります。
何故なら「好き」という言葉を意識しているという事は、その人やその仕事や勉強・スポーツ等と過ごしたり、取り組んだりする為に、理由を探している事になるからです。
「負けたくないってことに理由って要る?」
『ハイキュー』日向の言葉です。
「好き」には、理由はいりません。
敢えて、理由を加えるなら「好きだから好き」でしょうか?
異なる視点からの解答としては「これをやっている私が好き」という理由もありますが‥。
心に響く言葉なのに、強制力がない。
2020年7月に連載終了したにも関わらず、『ハイキュー』が未だに若い世代からの絶大な人気を誇る理由の1つです。
「クロがただのパリピ風野郎なら、一緒にやっていない。」
「えっ何でさっきから切り掛かってくんの?」
「確かにおれは、できるなら汗かきたくないし、練習よりゲームしたい時もあるし、バレーはやるより見る方が好きかなって思う。でも、さてやらなくちゃって思うのは、悪くないよ。」
『ハイキュー』研磨と黒尾の会話です。
強制力のない心に響く言葉を交わし合いながら、繋いできた2人の軸跡を、是非映画館で味わってみてください。