「影山って、意外とすげえ気ィつかうよな。さっきのも、特別変な事言ってるワケじゃないだろ。」
「やっぱ、中学の頃のモメ事気にしてんスかね?」
「昔の事引きずるタイプに見えないのにな。」
「‥何が重たい事なのか、それは人による。影山には中学の時の一本がチョーー重い一本なんだろ。」
「でもさ、詳しい事情知らないけど、1コだけ確実なのは、今の影山は自分は間違っている可能性があるってわかってるって事。多分、中学のチームメイトに体当たりで気付かされた事。」
『ハイキュー』木下と山口、成田、縁下の会話、そして菅さんの言葉です。
「忘れてんじゃねんよ。という前に思い出せる努力をしよう」
ペコパのギャグです。
ペコパの否定しないツッコミは、私達にも真似すべき点が多いです。
知的謙虚さという言葉があります。
知的謙虚さとは、自分の知識と能力の限界を把握出来ている状態の事を言います。
知的謙虚さを持つ人は、自分の不十分さに気づいているが故に、自らの意見に固執しません。
★自分の間違いがわかっても、意地にならず意見を修正出来る
★自分とは意見が異なる相手と出逢っても、寛容な態度を崩さない
★データやファクトを基に真実に近づくのが上手い
知的謙虚さを持つ人は、自分の限界を把握出来ている為、その分バイアスに惑わされにくく、客観的な情報を基に真実を追求出来ます。
「傲慢」と対極にあるメンタリティであり、シンプルな言葉で表現するのであれば「柔軟な精神」が近いかもしれません。
フレミングが青かびからペニシリンを発見したのも、柔軟な精神があってこそです。
柔軟な精神があるからこそ、見慣れた日常とは少し違う状態に気付く事が出来るのです。
デューク大学の研究において、参加者に「他人と意見が違った場合、自分は正しい確率はどれ位か?」と質問をしました。
すると、驚くべき事に82%の人が「他人と意見が合わない時は、自分が正しい」と回答をしています。
また「自分が正しいケースは半分以下だ」と回答した人は、4%しかいませんでした。
「人生においては、ほとんどの人がもう少し自信を失った方がよい。自分の信念や意見に関しては、誰もが必要以上の自信を持っているからだ。」
知的謙虚さの研究で著名なマーク・リアリーの言葉です。
「コイツの意見は間違っている。と思った自分が間違っているかもしれない。」
「かもしれない」という知的謙虚さを持つ事は、相手を否定しないマインドを作る事にも繋がります。
相手を否定するという事は、自分が正しいと思っているから。
それを疑ってみる言葉が「かもしれない」です。
「自分は、間違っているかもしれない。」
このマインドを持つ人とともに、生きていきたいと強く願います。