…俺は、普通の人間だと思う。体格とか能力とか。ガキの頃は、自分を天才に違いないと思っていた。‥いや中坊くらいまで思ってたかも。‥いや今でもちょいちょい思っているな…
…でも、多分身長は180に届かないだろうし、運動能力に自信はあるけど、バレー部の中で現時点で俺が一番である部分は無い。それが何かを諦める理由にはならないし、言い訳にもならない。つーか、そもそも普段そんな事考えない…
…でも、半年に一回くらい限りなくメンタルがマイナス寄りになった時に思う。自分は、平凡なんだと…
…ところで平凡な俺よ。下を向いている暇はあるのか?…
『ハイキュー』田中の脳内言葉です。
凡人は、天才を殺します。
凡人は、天才を理解出来ません。
人は、自分が理解出来ない人に対しては、畏怖の念を抱き、排除しようとします。
そして、凡人が唯一持っている数の多さにより、天才を殺します。
秀才は、天才を理解する事が出来ます。
しかし、秀才は、天才に対し、妬みと憧れとという相反する感情を持っています。
妬みが勝った場合、秀才は、凡人を動かし、天才を殺します。
凡人は、秀才を天才であると勘違いしています。
しかし、秀才は、心の中で凡人を見下しています。
人間は、大きく分けて、天才・秀才・凡人に分類する事が出来ます。
そして、天才・秀才・凡人には、コミュニケーションの断絶が起こります。
断絶が生じる要因は、その人が価値を判断するうえで前提となるもの、これを軸と呼びますが、軸が異なる為です。
「Good」「Bad」等という評価は対話によって変化する事もありますが、共感出来るかどうかで決めるといった軸は対話によって変化しません。
この軸が異なると、両者のコミュニケーションは平行線となります。
そして、天才・秀才・凡人では、軸が根本的に異なります。
天才の軸は、創造性です。
秀才の軸は、再現性です。
凡人の軸は、共感性です。
これでは、天才と凡人は、永遠にわかり合えないと思いませんか?
しかし、実際は、凡人は天才が大好きです。
凡人は、メディアで取り上げられた著名人が大好きです。
凡人は、天才が成果を出すと、手のひらを反して崇め始めます。
そして、それが天才を2度殺します。
凡人は、天才が1度失敗すると、途端に態度を変えます。
そんな大多数の凡人の反応に、天才はやはり自分は世界に理解されないと孤独を深め、絶望します。
そして、時には死を選ぶ事もあります。
天才は、凡人に成果を出す前に殺され、成果を出した後にも殺されます。
社会で生じている出来事に対し、上記のような世界観を持ち合わせると、理解が深まります。
そして、大多数の凡人にあなたが殺されてしまうロジックを理解する事が出来ます。
天才になるには、才能が必要です。
秀才になるには、努力が必要です。
凡人になるには、何も必要ありません。