ねぇ噺は、ともだちなんだよね?弱い人は、ともだちになれないの?落語家って強くなきゃいけないの?2

 

 …落語家になって、いろんな人に出会って、強い気持ちをぶつけられて、思ったんでしょ?おっ父と違うって。おっ父の仁と向き合って、分かっちゃったんでしょ?落語家・阿良川志ん太は、弱い人だった…

 「ねぇ噺は、ともだちなんだよね?弱い人は、ともだちになれないの?落語家って強くなきゃいけないの?」

 

 …今まで、おっ父の芸はスゴいって、憧れて追いかけて、その所為で見えなくなってた。おっ父の芸の本質。おっ父は、あの人達みたいに強くない…

 …だからこそ、おっ父の語る人は、あたたかくて、やさしい。そうだ。私はーおっ父の弱さが好きだったんだ…

 『あかね噺』あかねの自分との会話です。

 

如月 好葉 on X: "RT @cmfreak28: あかね噺は「憧れの父親が実は自分より才能と実力もなかった話」っていうバズツイ流れてきたけど!  おっ父の心の弱さを認めて、おっ父の弱さと決別するんじゃなくて「弱さが好きだった」「落語は英雄譚じゃないから弱さも武器になり得る ...

 

 

 
  ある日、6人の盲人が象を触ってその正体を突き止めようとしました。
 
  1人目は鼻に触り「象とは蛇のようなものだ」と言いました。
 
  2人目は耳に触り「象とはうちわのようなものだ」と言いました。
 
  3人目は足に触り「象とは木の幹のようなものだ」と言いました。
 
  4人目は胴に触り「象とは壁のようなものだ」と言いました。
 
  5人目はしっぽに触り「象とはロープのようなものだ」と言いました。
 
  6人目は牙にさわり「象とは槍のようなものだ」と言いました。
 
  それから6人の盲人たちは長いこと言い争い「それぞれが自分の意見を譲らなかった」そうです。

 寓話『6人の盲人と象』の話です。

 

 

 盲人とは、目の見えない人の事を指します。

 盲人それぞれが触れたのは、象の身体の一部です。

 それにも関わらず、各盲人は、その一部分こそが、象の正体であると思い込み、意見を譲りませんでした。

 

 私達の生活においても、このような事は、多分に生じます。

 私達は、人物や物事の一部分だけを見て、それが物事や人物の全てであると錯覚してしまう事が、多々あるからです。

 テレビのワイドショーやネットニュース等が、その代表でしょうか。

 

 しかし、人が把握できる事は、全体の一部分に過ぎません。

 「木を見て、森を見ず」の状態に陥る事は、或る意味、当然の事です。

2023/07/25 バガボンド | トンヌラのブログ

 

 

 それでも、出来るだけ、一面的にならずに、多面的な視点で、人物や物事を捉える事、つまり、視野を拡げる事を意識する必要があります。

 別の表現をすれば「自分は被害者である」「あの人が悪い」と必要以上に主張をしてくる人には、近づかない、仮に現在において関係がある場合には、距離を置く事が寛容です。

 

 

 勿論、1つの視点ではなく、6つの視点を持つ事は、大切です。

 しかし、多数決主義が用いられる日本社会においては勘違いしている人が多いのですが「部分の総和は、必ずしも全体にはならない」という事を、忘れてはいけません。

 

 全体的な視野での観察とは、個別観察の集計からは、出てきません。

 全体的な視野での観察を、わかりやすい言葉で表現をすると「イメージ」が近いでしょうか。

 イメージとは、心の中に描き出される像の事で、全体的な印象や感じ方を意味します。

 

 

  ★モンタージュ写真

  ☆似顔絵

 

 どちらも、犯罪捜査において、用いられる手法です。

 

 モンタージュ写真は、目撃者に犯人の輪郭・髪型・目等を思い出して貰い、それらによく似た各顔をパーツ写真を合成して、1つの顔写真を作り上げます。

 三億円事件やグリコ森永事件等では、モンタージュ写真が用いられました。

 しかし、近年にいおいて、犯罪捜査にモンタージュ写真が用いられる事は少なくなり、似顔絵が用いられる事が多くなっています。

 

 モンタージュ写真は、部分部分の顔の各パーツは非常にリアルであるものの、全体的には、どこか平板的な仕上がりの顔になります。

 これは、モンタージュ写真が、所詮、他人の顔のパーツの寄せ集めだからです。

 アイドルや女優のようになる為に、整形や化粧をしても、どこか違うようになってしまうのは、人の顔には、曖昧さがあるからです。

 

 目撃者の記憶は、曖昧であるにも関わらず、出来上がるモンタージュ写真には、曖昧さがないのです。

 これにより、モンタージュ写真を見た人は、少しでも違う部分があると、別人と判断をしてしまいます。

 その結果、寄せられる情報は少なくなり、犯人が捕まる可能性も少なくなってしまうのです。

 

 似顔絵の場合は、曖昧さがある分だけ、より犯人の特徴を、際立たせて表現する事が可能になります。

 それを見た人は、全体的なイメージを喚起され、その人が持つ直観力を呼び覚まされます。

 「何となく似ているな。」等と想像力が拡がりやすいのです。

 その結果、寄せられる情報は多くなり、犯人が捕まる可能性も高くなります。

 

 

 最後に、この寓話から、もう1つの学びを得る事が出来る事を、お伝えします。

 6人の盲人は、真実を表現する方法が異なっているだけであり、真実が異なっているわけではないのです。

 

 誰か1人が間違っているわけではなく、他の5人が正解というわけでもなく、その逆も然りです。

 つまり、全員が、正しいのです。

 

 異なる信念を持つ者がいた場合、互いの信念を尊重しながら、生きていく事の大切さを伝えるというメッセージも込められていると解釈する事が出来ます。