ほんとだったら、一番大事にしてくれるはずのお母さんが、私のことぶったり捨てたりしたから、お母さんにそんなことされる自分って、一体なんだろうって‥自分の価値がわからないんだよ。人付き合いも、うまくいかない。他人がずっと怖いし、私なんかとは別の世界に生きてるんじゃないかって、そういう思い込みで、大事にしかった人のこと切り捨てたりしてた2

 

 「私ずっと生き辛かったんだよ。叔父さん達は、実の子でもない私を育ててくれて、感謝もしてるけど、ずっと埋められない寂しさがあった。なんで私には、お母さんがいるのに、気にかけてすらもらえないんだろうって。」

 「だから、こうやって会いに来たんでしょ。仲良くしようと思ってるのに、変なこと言わないでよ。」

 

 「今またお母さんの気まぐれで、中途半端に優しくされたって意味ない。昔に戻って、一から私のこと、ちゃんと愛してよ。あの時の私がして欲しかったこと、あの時の私にしてよ。」

 「そんなこと出来るわけないじゃん。何言ってんの?」

 「ほんとだったら、一番大事にしてくれるはずのお母さんが、私のことぶったり捨てたりしたから、お母さんにそんなことされる自分って、一体なんだろうって‥自分の価値がわかんないんだよ。人付き合いも、うまくいかない。他人がずっと怖いし、私なんかとは別の世界に生きてるんじゃないかって、そういう思い込みで、大事にしたかった人のこと切り捨てたりしてた。」

 『明日、私は誰かの彼女』雪と雪の母の会話です。

明日、私は誰かのカノジョ』(明日カノ) 恋の痛みが心に刺さる ...

 

 

 

 児童相談所における子どもへの虐待の相談件数は、1997年5,352件であったのに対し、2021年207,660件にまで上昇しています。

 日本における子どもへの虐待の特徴として、アメリカやヨーロッパと比較し「心理的虐待」が圧倒的に多く「性的虐待」が極端に少ない事が挙げられます。

 

 「心理的虐待」は、驚くべき事に、虐待全体の6割程度に及びます。

 悪い意味で、日本人らしさが出ているように感じてしまうのは、私だけでしょうか。

 「性的虐待」が極端に少ない要因は、殆どの「性的虐待」が見落とされている事が要因でしょう。

 

 「心理的虐待」には、言葉による脅し・無視・子どもの目の前で家族に対して暴力を振るう等が挙げられます。

 虐待か否かの判断には、虐待する側の人間が、子どもが精神的な利益を得ているか否かで判断するとされています。

 

 

 

 私自身、ケアマネジャーとして、主介護者である息子が、介護を受ける立場の母親を殴ってしまったというケースを担当していた経験があります。

 地域包括支援センター・区役所等から、何の生産性もない聞き取りを何度もしたり・されたり、やったという既成事実を作るだけの会議が開催されたりと、私の時間と労力だけが吸い取られたという所が、正直な感想でした。

 

 主介護者である息子が、介護を受ける立場である母親を殴る。

 ここだけを切り取ると、息子が悪者であると思うのではないでしょうか?

 

 しかし、この「身体的虐待」を紐解いていくと、別の解を導き出す事が出来ます。

 そもそも、殴られてしまった母親は、息子が幼い頃に、息子を捨てて、家を出ています。

 息子は、親戚の家で育ち、子どもの頃の母親の記憶は殆どありません。

 

 そのような中でも、息子は成人し、仕事をしていきます。

 そんなある日、突然母親から連絡が入り「一緒に住もう」と言われます。

 母親との関係をやり直せると期待した息子は、一緒に住む事にします。

 

 一緒に住み始めますが、母親は事あるごとに、息子に「心理的虐待」に該当するような言葉を放ちます。

 たとえば「私に、息子はいない。」「あれ(息子の事)は、ただの同居人。」「(息子が用意した食事に対して)不味い。」等の言葉を何十年にも渡って言い続けます。

 息子が殴ってしまった時も、上記のような言葉を繰り返し、ついカっとなってしまった息子が、これまでの人生で初めて母親に手を挙げてしまったのです。

 

 

 地域包括支援センターや区役所は、たった1度の息子が殴ってしまったという事を「身体的虐待」として取り上げ、これまでの人生で息子を捨てた上、その後も「心理的虐待」を数十年にも及び毎日繰り返す母親の事は、何の問題にも取り上げませんでした。

 

 勿論、殴る事は、絶対にいけない事です。

 しかし、私は、息子のたった1度の「身体的虐待」よりも、母親の何万回、否、何十万回にも及ぶ「心理的虐待」の方が、罪が重いと感じています。

 

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 「身体的虐待」と「心理的虐待」

 その人の人生に大きく悪影響を与えるのは、どちらだと思いますか?

 

 私自身は「心理的虐待」の方が、その人の人生に大きく悪影響を与えると思います。

 思い出してみてください。

 

 子どもの頃、殴られた痛みは、殆ど忘れているのではないでしょうか?

 しかし、無視された時や貶された時の心の痛みは、大人になっても覚えていませんか?

 

 

 

 そして、悲しい事に、親が離婚をしているとその子どもが離婚をする可能性が3倍になるように、虐待を受けた子どもは、自分が親になった時、虐待をしてしまう可能性が高くなります。

 

 虐待する心に共通する特徴として、下記の7つが挙げられます。

 

  ①体罰肯定感:子育てには体罰が必要という世界観

  ②自己の欲求の優先傾向:子どもの欲求よりも自分の欲求を優先する

  ③子育てに対する自信喪失:自らの子育てに自信を失っている

  ④子どもからの被害の認知:子どもの行動・存在から被害を被っているという認知

  ⑤子育てに対する疲労・疲弊感:子育てに疲れ、心身が弱っている状態

  ⑥子育てへの完璧志向性:子育ては完璧に行わなければならないという認識

  ⑦子どもに対する嫌悪感・拒否感:子どもを嫌悪したり拒否したりする感情

 

 

 虐待を受けた母親が、自分の子どもに虐待をしている場合、①体罰肯定感②自己の欲求の優先傾向④子どもからの被害の認知の3つの心理的特徴を持っている事が証明されています。

 

 自身が「身体的虐待」を受けて育った場合「体罰肯定感」が強くなる傾向があります。

 この心理的背景には「体罰を受けて育った自分の人生を肯定したい」というものがあると推測が出来ます。

 皆さんも「親や先生に叩かれて育ったから、今の自分がある。叩いてくれた事を今では感謝している。」等という発言を聞いた事があるのではないでしょうか?

 

 

 ②自己の欲求の優先傾向をする親の心理的背景には、虐待を受けて育った事で、親からの愛情が十分に満たされなった事が挙げられます。

 その為、大人になっても、自己の欲求に固執し、子どもの欲求よりも優先してしまいます。

 乳児・幼児がいるにも関わらず、恋人の所に出掛けてしまう母親等が、その典型です。

 

 

 ④子どもからの被害の認知は、子どもが家でも外でも大騒ぎをして困る等というものではありません。

 「2歳の子どもが、自分をバカにしたような目でみてくる」等と訴えるような事を言います。

 2歳の子どもが、親をバカにするような目でみるわけはないのに、そのような非現実的な被害を感じてしまうのです。

 

 このような考えに至る心理的背景には、過去に食事を与えられない・病気になっても病院に連れて行って貰えない等の「ネグレクト」を経験しているケースが少なくありません。

 「ネグレクト」を受けて育った子どもは「誰も自分を構ってくれない」「自分だけが損をしている」等の被害感情が生まれ、この被害感情は大人になっても続く事が多いです。

 この結果、幼い子どもからも、非現実的な被害を受けていると感じてしまうのです。

 

 

 

 虐待をする側にも、理由がある事を、理解頂けたのではないでしょうか?

 虐待は、連鎖します。

 でも、その負の連鎖は、あなたが止められる可能性があります。

 

 その方法を、一緒に模索していきたいと考えています。