「いちいち心配したって、心配しなくたって、どっちみち結果は同じなんだよ。どうせなるようにしかならねぇんだから、心配するだけ損じゃねえかよ。」
『ちびまる子ちゃん』ヒロシの言葉です。
あらゆる角度から姿を現す富士山に、富士川・大井川・天竜川等の日本史の舞台にも登場する一級河川、日本一深い海・駿河湾、魚類だけで400種以上が生息している浜名湖。
静岡県を東名高速道路で走っていると、その景色の移り変わりに、圧倒されます。
若しかしたら、この自然の景色の移り変わりは、日本で1番かもしれません。
ヤマト政権は、古墳時代において、大和地方を中心とする勢力によって形成された政治連合です。
静岡県におけるヤマト政権の支配については、県内の前方後円墳等の築造との関連から、4世紀頃と考えられています。
これは、静岡市の「谷津山古墳」磐田市の「松林山古墳」「銚子塚古墳」」等、全長100mを超える前方後円墳の存在から実証されています。
一方『古事記』『日本書紀』には、県内の様々な地名の由来として、ヤマトタケルの伝承が記載されています。
西暦110年、ヤマトタケルは父である第12代景行天皇の命令にて、蝦夷討伐に向かいました。
その途中、逆賊に騙されて、草むらの中で四方に火を放たれ、焼き殺されそうになります。
九死に一生の中、身に着けていた剣で草を薙ぎ払い、敵を破る事が出来たと語り継がれています。
ヤマトタケルが無事に難を逃れた地を「草薙」といい、この時使用された剣は敵を打ち払う神剣として「草薙剣」と呼ばれるようになりました。
草薙は、現在も静岡市清水区西部の地名となっており、草薙剣はヤマトタケルを御祭神とする草薙神社に奉納され、686年第40代天武天皇の勅令により、愛知県の熱田神宮に奉納されました。
また、火が放たれ焼野原になった地を「やいつ」と言うようになり、これが現在の「焼津」の名前の由来となっているという説もあります。
さらに、静岡市清水区南部の丘陵地「日本平」についても、ヤマトタケルが敵を破った後に、有度山の頂上に登り、四方を眺めた事に由来するとされています。
この有度地区には、ヤマトタケルに関する伝説が20余りも存在します。
ヤマトタケルの伝承は、実在した個人の説話ではありません。
ヤマト政権が、武力制圧により政治的な支配を拡大していくという歴史的な過程を、1人の伝説的な英雄の物語として伝えたものです。
このように考えると、ヤマトタケルの伝承が数多く残る静岡県の人々は、ヤマト政権に、激しく抵抗していた事を窺い知る事が出来ます。
『ちびまる子ちゃん』の世界観に代表されるように、静岡と聞くと、温暖な気候も重なり、温和な人が多いという印象を持たれている方が多いのではないでしょうか?
幸か不幸か、その意見の違いを避ける静岡県民の性格が、これだけ魅力的な潜在能力のある県を、活かしきれていない事に繋がっていると、私は感じています。
しかし、日本がまだ統一されていない頃の駿河の国の人達は、ヤマト政権と闘う気概を持っていたようです。