まあ海外には絶対挑戦することになるし、それがちょっと早くなっただけ。行きたい舞台(ばしょ)は、どうせ変わらない2

 

 「俺は、この人から学ぶって決めた。そしたら、翌年からアルゼンチンに戻っちゃってね。まあ海外には絶対挑戦することになるし、それがちょっと早くなっただけ。」

 「行きたい舞台(ばしょ)は、どうせ変わらない。」

 『ハイキュー』及川徹の言葉です。

 

 

 多くの日本人は、英語を話せません。

 何故だと思いますか?

 英語と日本が全然違うからでしょうか?学校教育が駄目だからでしょうか?控え目な日本人の国民性からでしょうか?

 

 勿論、上記の理由もありますが、日本人が英語を話さない最も大きな理由は、話す必然性がなかったからです。

 日本は人口1億人を超える世界で10番目に人口の多い国であり、GDP(経済の大きさ)は世界で3位という豊かな国です。

 日本の会社が製品を作ったとしても、買ってくれる人が日本の中にたくさんいるから、日本国内だけで商売が成り立ちます。

 その為、敢えて英語や海外の事を学ぶ必要がありませんでした。必然性がなければ、人は苦労して勉強しようとは思わないものです。

 

 

  1位:オランダ

  2位:オーストリア

  3位:デンマーク

 

 国民の英語力が高い国は、小さな国が多いです。

 ちなみに、フランスは31位、中国は49位、日本は78位です。

 確かに、私がロンドンに行った時、ヨーロッパの人は皆英語が話せるのかと思っていましたが、ナショナルミュージアムでゴッホのグッズを購入しようとしていたスペイン人は、英語が私以上に話せなくて苦労していました。

 

 小さな国が英語を話せるのは、自分の小さな国だけに目を向けていては、商売が成り立たないという必然性があるからです。

 英語等の外国語を勉強するという事は、その国の言葉だけではなく、世界観や文化を知る事であり、それと比較して自分の国を理解する事でもあります。

 そのような姿勢で勉強していれば、コミュニケーションや商売の場面で、自分の国の理屈を無理に押し付けたりする事はなくなります。

 

 アメリカ然り、中国然り、ロシア然り。

 大きな国の政府や会社は、それが出来ない為に、失敗する事が多い事は、近年の世界情勢を見ていれば、誰もが知る所です。

 

 

 中学や高校の英語で「仮定法」を習った方も多いと思います。

 私は、学生時代から「仮定法」という表現が日本語には合わないと感じていました。

 何故なら「仮定法」とは「妄想」だからです。

 日本人は妄想を言葉にしません。しかし、英語の世界では、妄想を言葉として表現する為、これは「妄想」だとハッキリと伝える必要があり「仮定法」という公式が存在します。

 

  I did not know you were in Tokyo, so I did not invite you to dinner.

 「あなたが東京にいるのを知ってたら、夕食に誘ったのに。」という表現です。

 

 おそらく、多くの日本人は、このような表現をしません。

 何故なら、日本人は、妄想を言葉にして伝える事を、殆どしないからです。

 仮に、日本人で仮定法のような話を連発するような人がいたら、その人はほぼ間違いなくメンヘラです。

 仮定法1つとっても、英語を話す人達の世界観と、日本人の世界観との違いを学ぶ事が出来ます。

 

 

 私が大学生の時、お世話になっていた教授と議論を重ねる中で「日本が戦争で負けた後、アメリカが10年程度日本を占領下に置き、日本語を禁止して、英語を話すように強制したら、日本はもっと豊かになったかもしれませんね。」等という話をしたら、その教授は怒り出してしまいました。

 これは半分冗談ですが、半分本気でそのように考えています。

 後世に繋ぐという視点で考えれば、10年程度の母国語が第一言語ではない悔しさよりも、後世の人達が英語を話す事が出来るという事の方がメリットが高いように感じます。

 

 1億人を相手にするのか。

 80億人を相手にするのか。

 

 これから、後退していく日本で生きていく為には、80億人を相手にする必然性が出てきています。