よく男性ですか?女性ですか?と聞かれますが、私は、はるな愛です

 

 …欲しいものは、なんでも買えた。皆が私をほめてくれた。同年代の子が得られないであろうお金が手に入った。あの頃、確かに私は無敵だった…

 …でも、それは若さと時間と価値観を引き換えにして成り立っていたものだった。今の私の手元には、何も無い。ああなんて、素晴らしい世界だったんだろう…

 『明日、私は誰かの彼女』菜々美の脳内言葉です。

 

 

 結婚=幸せという価値観が崩壊し、久しいです。

 私は、この傾向は素晴らしいと思います。

 結婚=幸せではありませんし、結婚=子どもを産み育てるという事でもありません。

 

 少子高齢化は国の危機であると騒ぐ人もいますが、私は別の角度から光を当ててみたいと思います。

 1990年男女ともに生涯未婚率は5%程でしたが、2023年は男性30%女性20%になっています。

 結婚しない男女が増えているという現象は、何らかの理由があるはずです。

 中には、結婚出来ない理由があるという人も少なくないはずです。

 

 

 その1つが、不倫の恋です。

 不倫の善悪は悪であると社会的には決まっているのだから、そこを論じても意味がありません。

 善悪は、子どもでも、フリーターでも、政治家でもわかっている事であり、そこを論じるのは退屈極まりない事であり、醜い行為のようにも見えます。

 

 本居宣長は『源氏物語』を「もののあはれ」と捉えました。 

 「もののあはれ」とは、四季の移ろいや友情や親子・男女間の愛等の離別等によるしみじみとした気分や情緒を指す言葉です。

 本居宣長が『源氏物語』で捉えた「もののあはれ」とは、不倫の恋の事を指します。

 

 有名人の不倫報道で、興奮する大衆には、実は不倫に憧れているモテない男や性的魅力に欠ける女性のルサンチマンが噴出している事が多いです。

 ルサンチマンとは、弱者の強者に対する嫉妬・復讐心を指します。

 

 

 以上の現実を踏まえ不倫の恋について考えると「一生この人の愛人として生きる」というのも立派な決断ではないかとも思えます。

 ここだけの話、妥協の結婚をして、妥協の出産をして、妥協の育児をして、妥協の老後を送る仮面夫婦なんて、生き地獄であると考えている人も多いのではないでしょうか。

 

 2020年保険会社が実施した調査によると、20代・30代で仮面夫婦の割合は23%、40代では30%であるというデータもあります。

 このように考えると、海外ではまだ残っている国もある一夫多妻制の方が自然の摂理に則っているという解釈も出来ます。

 何故なら、一夫多妻制で最も得をしているのは、持てない男だからです。

 

 

 私は、中学生の時に疑問に感じた事がありました。

 中学生になると、小学校時代のように皆と仲良くという時期が終了し、スクールカーストが生まれ、それぞれ同じレベルの友達としか交流しなくなります。

 また、モテる男女は、中学生から付き合いを始めます。

 ここで、Aランク同士が付き合うのは理解出来るのですが、実はDランク同士も付き合っていたのです。

 

 多くの中間層であるBランク・Cランクは付き合う事が出来ないにも関わらず、Dランクの男女同士が付き合っている事が私は不思議でした。

 この現象は、高校・大学になってからも、続きました。

 その中の1人に私は「何故、あの子と付き合うの?」と質問をしたら「仕方ない。」と答えました。

 

 

 本来ならモテる=優秀な遺伝子を持つ雄が、雌を独占するはずの所を、一夫多妻制にする事で、モテない雄にも結婚が出来るようにする制度が、一夫多妻制であると捉える事が出来ます。

 つまり、妥協をして本命ではない男としか結婚出来ないのであれば、妥協をせず本命の男の愛人として人生を全うするのは、論理的であり、自然の摂理に則った生き方であるとも言えます。

 繰り返しますが、この話は、善悪を超越した話です。

 

 20世紀であれば、とても告白する事が出来なかったLGBTが世界的に受け入れられ始めているのも、結婚制度を始めとする各種制度が所詮人工物に過ぎず、自然の摂理に則っていない齟齬が生じている為であると私は考えています。

 皆さんは、どのように考えますか?