「わたしは、牧之原翔子です。牧之原サービスエリアの牧之原に、大空を翔ける子の翔子。少年の名前は?」
『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見る』牧之原翔子の言葉です。
私は、静岡県清水市(現在の静岡市)で生まれ、静岡県相良町(現在の牧之原市)で育ちました。
日本一標高の高い富士山と、日本一深い海である駿河湾に囲まれ、その風景は私にとって当たり前のものでした。
18歳で地元を飛び出し、外から静岡県を見ると、魅力的な県である事、さらに、その魅力を活かしきれていない県であると感じています。
かつての日本には、全国各地に海で採れた塩を内陸へ運んだ「塩の道」がありました。
静岡県にも牧之原市相良を起点に、遠州地方を北上し、信州へ向かう「塩の道」がかつてあったのです。
牧之原市は、全国屈指のお茶の産地として知られていますが、約16kmの海岸線で駿河湾に面する海辺の街でもあります。
牧之原市が海とともに生きてきた街である事の証として、沿岸漁業の漁港や海水浴場が複数ある事の他、市の南部地区・旧相良町域に作られた塩田で製塩業が盛んに行われていた事が挙げられます。
江戸時代中期、相良藩主であった田沼意次も領民に塩作りを奨励しており、相良は塩の一大産地となっていました。
相良で作られた塩は、地元で消費されるだけではなく、様々な生活物資とともに内陸の各地に運ばれ、そのルートは「塩の道」と呼ばれました。
「塩の道」は相良町の中心部であった波津から始まります。
その道すがら、菊川市内で「塩買坂」という名の坂道や、掛川市内で「塩町」という名の街が、現在も存続している事から、当時の面影を知る事が出来ます。
「塩の道」は静岡県を抜け、長野県に入ります。
「塩の道」の終着点は、塩尻。
「塩の道」の尻である事から、この町名がつけられました。
地元で採れた塩が、海のない地域の人の生活を支えていた。どこか嬉しい気持ちになります。
歴史と地政学を知る事で、地元の街に対する見方も、変わる事があります。
これが勉強する事の醍醐味です。