徳川四天王、真田十勇士、黒田二十四騎等、語り継がれる武将には、物語になる部下が複数存在しています。
先日終了した『麒麟がくる』の主人公、明智光秀には物語になる部下がいませんでした。否、実際はいたのかもしれませんが、後世には語り継がれていません。
世界史において、物語になる部下といえば、ブリテンの王、アーサーと円卓の騎士でしょう。
中学2年生の頃、『キングアーサー』という映画を観たことを記憶しています。
あれから時を過ぎ、現在は『Fate』において、再びアーサー王と出逢うことが出来ました。
『アーサー王物語』は、ケルト神話における中世騎士物語です。
中世という歴史を基調としながら、戦や冒険、恋愛、魔術、神秘といった虚構を紡いでいきます。
史実と虚構という絶妙なバランスが、物語を魅力的なものに仕上げていきます。
歴史という大きな流れの中で生きてる人間の小さな過ちや恋愛等の些細な情念が、やがて国を崩壊させていく。
それが、『アーサー王物語』です。
「貴様は臣下を救うばかりで、導くことをしなかった。王の欲の形を示すこともなく、道を失った臣下を捨て置き、ただ1人ですまし顔のまま、小綺麗な理想とやらを思い焦がれただけよ。」
アレクサンダー大王、征服王イスカンダルのアーサー王に対する言葉です。
『Fate』では、アーサー王の伝説に疑問を投げかけます。