「兄ちゃんも、父ちゃんもでかいのにっ何でおれだけ小さいのっ。」
「えー何だろ。‥遺伝?」
「‥。」
「じいちゃんが小さいもんなー。いやその前に、私が小っちゃいわ!あはは。」
「‥。」
「小さいと何でヤだ?」
「‥大きい奴に勝てないから。」
「小さいから勝てない?勝つ方法は、1つも無い?」
「知ってる?大きくなる確かな方法は、多分無いけど、強くなる方法はたくさんあるよ。‥この話光来にしかしてないから、今なら光来が強いに一番乗りだね。」
『ハイキュー』光来君の子ども時代の母ちゃんとの会話です。
外向的な若者は合コンやパーティー等に行きたがりますが、内向的な若者は合コンやパーティー等に参加する事は苦痛に感じます。
読書をしたり映画を観たり美術館で過ごす時間が好きな人もいれば、そんな事はつまらないと感じる人もいます。
「気質」により、その人が求める「環境」は、変わっていきます。
これを「適正選択(ニッチ・ピッキング)」と呼びます。
私達は、意識しても、せずとも、自分に適した場所を選択しています。
そして、この選択に最も関わっているのが「遺伝子」です。
子どもも年齢が上がれば、自分で「環境」を選択出来るようになっていきます。
その一方、年齢の小さい子どもは、自分で「環境」を選択する能力が限られています。
殆どの場合、乳幼児は、親が連れて行く場所に行きます。
博物館に連れて行った時、恐竜の骨格や物理を説明する機械を観るのが好きで、子どもも親も一緒に楽しい時間を過ごす事が出来たら、さらに知的好奇心を擽る場所に連れて行きたいと親は思います。
しかし、博物館の中で暴れまわり、その時間の大半を叱ったり、他の観覧者に謝罪しながら過ごす事になったら、今後は博物館に行く事を躊躇するでしょうし、知的好奇心を擽るような場所に行こうとは思わなくなります。
与えられた「環境」に対して、何らかの行動や態度を示す事で、経験や体験が自分の「気質」にフィットした形になるよう、子どもは親に間接的に働きかけています。
しかし、多くの場合、親は、その行動や態度に対し、叱るという形で対応をしてしまいます。
想像してみてください。
あなたが内向的にも関わらず、毎回の様に外出先が合コンやパーティー会場であれば、嫌な気持ちになりませんか?
乳幼児は、その自分の気持ちを言葉で説明する事も、何故自分が嫌な感情になっているのかを自分自身で分析する事も難しい為、行動や態度で示すしかないのです。
子どもの能力・発達・性格等を決めるのは「遺伝か環境か」という論争は現代まで続き、現代は「遺伝」と「環境」双方が関わり合うという「そりゃそうだろ」という結論となっています。
ただ「環境」にも「遺伝」が関わるという事は、多くの人は気付いていないのではないでしょうか?
「親が子どもの為に用意する環境」と「親が子どもに引き継ぐ遺伝子」の両方に「親の遺伝子」が影響を与えているのです。
たとえば、IQの高い親がいたとします。
IQは「遺伝」します。
IQの高い親は、IQの高い「遺伝子」を子どもに引き渡す可能性が高いです。
そして、IQの高い親は、本がたくさんある家庭を築く可能性も高くなります。
このような親は、子どもに本を読み聞かせ、子どもが学びを得る事が出来る「環境」に子どもを連れて行く事でしょう。
つまり、IQの高い親から生まれた子どもは「遺伝的な素質」という面で、すでに恵まれているだけではなく「創造力」「論理的思考」等を育む様々な活動を通じて「環境的」な刺激を受ける事も出来るのです。
頭の良い親は、宿題をみてあげたり、子どもが本を読んだり、勉強好きである事を喜ぶ可能性が高くなります。
このような親の元に生まれた子どもは「優れた遺伝子」と「充実した環境」の両方の恩恵を受ける事が出来るのです。
裏を返せば、不幸にも、子どもは二重の悪影響を受ける可能性もあるという事を示します。
たとえば「攻撃性」は「遺伝的」な影響が大きい事がわかっています。
攻撃的な「気質」を受け継いだ子どもは、攻撃的な親を持っている可能性が高いです。
その為、厳しいしつけや体罰を伴う家庭環境にある可能性が高く、こうした環境により、子どもは、さらに攻撃的な傾向を強めていきます。
このような子どもは「遺伝的」に短気であるという巡り合わせがあるだけでなく、さらに攻撃的になるような「環境」に置かれているのです。
外向性が高く衝動的なタイプの親は、子どもが居心地が良いと感じる場所から、踏み出させる傾向が強いです。
スキーやダイビング等に連れ出したり、ロッククライミングに参加させる等、チャレンジングな事をさせたりします。
内向的で知的なタイプの親は、子どもと共に居心地の良い場所を感じる場所を作る傾向が強いです。
家には本がたくさんあり子どもと一緒に本を読んだり、少人数で出来る静かな遊びを実践する傾向が強いです。
これは、どちらが良い・悪いという話ではありません。
どちらのタイプにも、良い所・悪い所はありますし、人の「気質」は外向的・内向的等というようにきれいに分かれるものではなく、内向的だけど開放性が高い等、様々な特性が入り混じっているものです。
ただ、私達の子育ての傾向には、多くの場合、親自身の「遺伝的」な「気質」が反映されています。
…自分より、大きいものや強いものに出会って、初めて自分は小さく、弱いと自覚する…
「俺は、俺が弱い事を、とうの昔にしっている」
『ハイキュー』光来君の言葉です。