…落語家になって、いろんな人に出会って、強い気持ちをぶつけられて、思ったんでしょ?おっ父と違うって。おっ父の仁と向き合って、分かっちゃったんでしょ?落語家・阿良川志ん太は、弱い人だった…
「ねぇ噺は、ともだちなんだよね?弱い人は、ともだちになれないの?落語家って強くなきゃいけないの?」
…今まで、おっ父の芸はスゴいって、憧れて追いかけて、その所為で見えなくなってた。おっ父の芸の本質。おっ父は、あの人達みたいに強くない…
…だからこそ、おっ父の語る人は、あたたかくて、やさしい。そうだ。私はーおっ父の弱さが好きだったんだ…
『あかね噺』あかねの自分との会話です。
あなたは、どんな性格ですか?
私は「開放性」が高く「外向性」が低い性格です。
「外向性」に至っては、95%の人より、低いという結果が出ています。
その為、人といるよりも1人でいる方が好きですし、多数の人と関係を作るよりも少数の人と深い関係を築く方が好きです。
しかし、知らない場所に出掛けたり、知らない知識を得る事が好きという「開放性」の高さから「外向性」が低いにも関わらず、知らない場所に出掛けたり、新しい事に挑戦したりする事が好きです。
上記のように、性格は種類やレベルにより、明確に分類出来るものではありません。
また、絶えず変化もしていきます。
性格の特性が、どの程度備わっているのかについては「遺伝子」が影響しますが、それらの特性がどう現れるのかは「環境」により変わります。
『発達心理学』では、子どもにとってどのような環境・育て方が有効なのかを表現する時に「適合度」という言葉を使います。
「適合度」とは、子どもと親、そして、子どもと彼ら彼女らを取り巻く環境との「相性の良し悪し」の事を言います。
幸せでストレスの少ない家庭生活を送る為には、相性がとても大切となります。
幸運にも、生まれながらに相性の良い親子も存在します。
例えば、母親が読書家で、娘は母親に本を読んで貰うのが大好きという家族がいます。
母親は、地元の図書館で行われる幼児向けの読み聞かせ会に連れて行き、その後、娘と一緒に本を選んだり、読書コーナーで一緒に本を読んだりして、とても有意義な時間を過ごします。
本を読む事に加え、一緒にブロックを作ったり、塗り絵をしたりする事が2人の共通の楽しみです。
或いは、母親がスポーツ万能だったらどうでしょうか?
娘を出来るだけ早い時期からスポーツ教室に通わせ、サッカーの試合には娘と2人で出掛けます。
応援に行った先では、他の観客達と一緒に盛り上がります。
環境との相性が良い時、子どもは、伸びていきます。
しかし、親は、その根本的な理由に気付かない事が多いです。
単に、子育てが楽であると感じてしまうのです。
親は、子どもが読書好きであったり、スポーツ好きであったりするのは、自分がそのような環境を与えたからであると考えます。
しかし、親と子どもが遺伝の50%を共有しているからといって、親が子どもの行動に影響を及ぼしているとは限りません。
親が、このような事を理解出来ないのは、単に相性が良かっただけというラッキーなケースが多い為です。
母親が読書家のケースでは、母親と娘はともに「外向性」が低く「自制心」が高い性格特性を持っています。
本を読んだり、ブロックを作る等という静かな活動は、双方にとって魅力的なのです。
母親がスポーツ好きのケースでは、母親と娘はともに「外向性」が高い性格特性を持っています。
スポーツのような人に囲まれ、活動的で賑やかな活動は、双方にとって魅力的なのです。
頭の良さも、運動能力も「遺伝」の影響を強く受ける為、その点でも、2つのケースともに、母と娘の相性は良かったのでしょう。
しかし、静かに読書をする事が好きな母親に「外向性」が高く「自制心」が低い子どもがいたらどうなるかを、想像してみてください。
母親が何度本の読み聞かせをしようと試みても、娘は本を理解しようとはせずに、部屋中を走り回ります。
図書館や本屋に行っても、本棚から本を取り出しては、あらぬ所に本を投げたり置いたりを繰り返し、図書館や本屋の中を走り回ります。
母親は、娘との時間を楽しむどころか、常に子どもを叱らなければならないような気分になってしまいます。
次に、スポーツ好きの母親が「外向性」の低い子どもを持つ場合を、想像してみてください。
母親は娘をスポーツ教室に連れて行ったり、兄弟のサッカーの試合を一緒に応援したいと思うでしょう。
しかし、娘は「外向性」の高い周囲の同級生や、人の多さや賑やかな環境に圧倒されてしまいます。
娘は、いつも母親に「行きたくない」と訴えるものの、母親が強引に連れていくような状態が続きます。
2つのケースともに、母親は良かれと思い、我が子が喜ぶであろう機会を与え、親子の絆を深めようとしています。
しかし、私達は、自分が望むものを子どもに与え、自分が好きなものは子どもも好きであると、自然と思い込んでしまいます。
私達は、意識をしないと、他人の脳も自分の脳と同じであると勘違いをしてしまいます。
特に、子どもに関しては、この傾向が強くなります。
親子の性格が合っていれば、多くの事が、スムーズに進みます。
しかし、親と子どもの性格が大きく異なる場合、特に親がその事に関して意識をしていない場合は、親子間の摩擦が大きくなります。
親も子どもも大きなストレスを抱え続け、家族関係にも大きなイメージを与える可能性があります。
上記に記した2つのケースとも、母親が、自分が計画した活動が子どもの性格に合っていない事を理解していませんでした。
相性の良くない活動を強いられている子どもが「衝動性」が高い場合、癇癪を起したりする事になります。
「適合度」を理解する事は、子どもの性格に従う事ではありません。
どのような活動を、子どもに経験させたらよいのか、また、どのような活動には慎重に方針を立てる必要があるのかを予測する等、よりよい判断をする為の材料となるのです。
その為に、まずは、あなた自身が、どのような性格なのかを知る事をお勧めします。
自分の性格を知る事は、子育てに限らず、パートナーとの関係・仕事・将来の選択等、あらゆる事に優位に働く事を約束します。
…落語は、英雄譚じゃない。見栄っ張り・呑気や助平に、お調子者。完璧に成れない普通の人間の失敗を語る芸。それ故に、弱さもまた武器になり得る…
…弱くてもいい。それもまた、人としての味だ…
『あかね噺』阿良川志ぐまの脳内言葉です。