「私ずっと生き辛かったんだよ。叔父さん達は、実の子でもない私を育ててくれて、感謝もしてるけど、ずっと埋められない寂しさがあった。なんで私には、お母さんがいるのに、気にかけてすらもらえないんだろうって。」
「だから、こうやって会いに来たんでしょ。仲良くしようと思ってるのに、変なこと言わないでよ。」
「今またお母さんの気まぐれで、中途半端に優しくされたって意味ない。昔に戻って、一から私のこと、ちゃんと愛してよ。あの時の私がして欲しかったこと、あの時の私にしてよ。」
「そんなこと出来るわけないじゃん。何言ってんの?」
「ほんとだったら、一番大事にしてくれるはずのお母さんが、私のことぶったり捨てたりしたから、お母さんにそんなことされる自分って、一体なんだろうって‥自分の価値がわかんないんだよ。人付き合いも、うまくいかない。他人がずっと怖いし、私なんかとは別の世界に生きてるんじゃないかって、そういう思い込みで、大事にしたかった人のこと切り捨てたりしてた。」
『明日、私は誰かの彼女』雪と雪の母の会話です。
「三つ子の魂百まで」という諺がありますが、あなたは、この諺を信じますか?
私は、信じています。
ある研究では、3歳までの間に、世界観や性格・考え方等、その人の人生を作り上げるものの80%が構築されるとされています。
その一方、違う研究では、誠実性・協調性・情緒安定性の3つの性格特性は、18~25歳の間に、最も変化するとされています。
ただ、私は、上記3つの性格特性も、3歳までに構築された基礎の上に、上乗せ若しくは下乗せされるものであると考えています。
私達は、皆、母親のお腹の中で育ち、産まれてきます。
それであれば、お腹の中にいる時から、母親の世界観・思考・感情等を直接インストールしていると考える事が、自然です。
生まれてからは、母親は勿論、父親からも「愛されたい」と思い、その「愛情」を受ける為に、奮闘します。
幼き頃は、入ってきた情報を分別するフィルターが、充分に機能しません。
その為、母親・父親の世界観や思考・感情等が、そのまま、子どもの心に響きます。
たとえば、母親が「ちゃんとお片付け出来たね」「最後までちゃんと食べられたね」「ちゃんと1人で服が着れたね」等と「ちゃんと」という言葉を多用するとします。
この声掛け自体は、間違っているものではなく、若しかしたら、あなたも、上記のような声掛けを頻繁にしているかもしれません。
『ハイキュー』北さん推しである可能性もありますが、それは、今回は横に置いておきます。
上記のように母親に声を掛けられると、子どもは、嬉しいものです。
嬉しい為、その子どもは「ちゃんとすると、お母さんから愛される」という法則を学びます。
そして、その子どもは、家の中でも、学校でも「ちゃんとする良い子」になって、周りから愛されようとします。
長男・長女に上記のような行動をする子どもが多いです。
長男・長女が、学校において、学級委員長や部活等のキャプテン等を任せれる事が多いのも、上記の行動が、背景にあります。
この行動は、間違っているわけではなく、その行動の背景にあるものを自分自身で向き合い、コントロールする事が出来るのであれば、その後の人生においても、上記の思考と行動は、ポジティブに働きます。
しかし、その行動の背景にあるものと向き合う事をしなかったり、その気持ちが強過ぎてしまうと、大人になってから、多くの問題にぶつかります。
大人になってからも「ちゃんとしなきゃ」「ちゃんと出来ていない」等という気持ちに縛られ続ける人が、どのようになっていくのかは、想像に難くありません。
このように、私達は「愛されたいが故に」親の世界観や思考・感情等に従って、生きるようになります。
この影響は、無自覚である事が多いです。
しかし、これまで述べてきたように、私達の世界観・思考・感情等のベースには「親子関係」があるのです。
少しずつ世界観が変化してきましたが、綺麗事を抜きに表現すると、子どもにとって、親は絶対的であり、かつ、目上の存在です。
「そんな風に思わない」という声が聞こえてきそうですが、それは、あなたが大人になってから親を見た為の声です。
多くの事が自分1人では出来ない子どもにとって、何でも1人で出来る親は、まるで神様のような存在に見えるものです。
子どもは、自分1人でご飯を食べる事も、服を着る事も、遠くに出掛ける事も出来ません。
母親や父親は、そんな子どもが1人で出来ない事を、1人で行う事が出来るのです。
「アーニャ、つよくてかっこいいははすき!」
…普通の母親らしく振る舞うことはできなくても、私にできることを精一杯やろう…
『SPY×FAMILY』アーニャの言葉と、ヨルの脳内言葉です。