「湊は違うかもだけど、我慢のし過ぎで、ストレス溜めまくって、仕事出来なくなった友達、周りに結構いるから‥。」
「全部を人の思考に委ねられるぐらい馬鹿になれるんなら、それでいいんだけどな。考えた上で、自分の意思を殺し続けてたら‥突然ポキッって折れて、潰れるから。お前には、そうなってほしくない。」
「‥‥まだ遠いよ。社会人デビュー。」
「確かに。」
「ま、どちらかと言えば、空気読むスキルの方が必要なんだけど。かといって、大勢が集まった時に、全員が同じ意見になることの方が少ない。ー‥何故なら、俺のような人間がいるから。」
「兄ちゃん、本当に店で浮いてない?」
「失礼な。」
「好き・嫌い、正義・悪、人の数だけあるから。持論と自我は、ちゃんともっとけ。あとそのことに対する自覚。自分が何でそう思うか。結局自分が自分のこと、ちゃんと理解してねーと‥人とぶつかりあった時に、反論することも、人の意見とすり合わせることも、間違えた時に反論することも出来ねーからな。」
「‥‥兄ちゃん、何があったの?」
「俺も、いろいろあって丸くなったんだよ。」
『氷の城壁』湊兄と湊の会話です。
学校でひどい1日を過ごした子どもに、同情する事は、容易かもしれません。
しかし、子どもが言っている事が、承服し難い事であった場合は、いかがでしょうか?
たとえば「赤ちゃんが嫌い。病院に返してきて。」と言った場合、あなたは、どのような反応をしますか?
このような時程、親であるあなたは、子どもの話に耳を傾け、理解に努め、子どもの感情をありのままに受け入れる事が大切になります。
「そんな事言わないの。」等と子どもの感情を否定するのではなく「そういえば、最近○○ちゃんと2人だけで過ごす時間がないね。赤ちゃんにいなくなってほしいと思うのも無理もないよね。」等と、子どもの感情をありのまま受け入れるのです。
「お兄ちゃん(お姉ちゃん)になって、どんな気持ち?」等と、子どもに質問をするのもいいでしょう。
この答えが、どんなものであっても「弟(妹)を好きになってあげてね。」等とは言わない事です。
子どもが、自分の感情を表現している時、必要なのは、子どもの感情の受け皿なのです。
気を逸らすという言動は、子どもが体験している事から、他の事(親や社会にとって都合の良い事)へ、目を向けさせる為に、親が好んで使う戦略です。
ただ、気を逸らすという方法は、子どもの心や感情を発達させる事において、良い方法ではありません。
気を逸らすという事は、ごまかしであり、長期的な視点でみれば、そのように子ども自身が操られる事は、子どもが自分で幸せになる能力を奪う事に繋がります。
気を逸らす事で、子どもに、どのようなメッセージが伝わるでしょうか?
たとえば、あなたが外出中転んだとします。
その時、あなたのパートナーが、心配するわけでも、人前で転んだ事に対する羞恥心に寄り添うわけでもなく「お気に入りのゲームをやらせてあげる。」等と言ってきたら、あなたはどう感じるでしょうか?
勿論、私達は、大人に対して、上記のような言動をする事はありません。
しかし、不思議な事に、こどもに対しては、当たり前のように、上記のような言動をしてしまっているのです。
子どもがあなたに接する時の態度には、あなたが子どもに接する時の態度が、そのまま現われます。
仮に、子どもが、車のキー等、あなたが渡したくないものを欲しがった場合に、あなたは、どのような言動をしますか?
「この人形を見て。」等を気を逸らすのではなく「車のキーで遊んでは駄目だよ。」等と、きちんと説明する必要があります。
子どもは、上記の様なあなたの言動を不満に感じるでしょう。
その時には「キーを渡して貰えなかったから、怒っているのね。○○ちゃんが、怒っているのはよく理解出来るよ。」等と伝えればいいのです。
このように、親が子どもの感情の受け皿になる事を繰り返す事で、子どもも、自分の感情を受け止める方法を学んでいきます。
面倒に感じるかもしれませんが、これを繰り返さないと、数年後、否、十数年後に、子どもが自分の感情を受け止める方法を学ぶ事が出来なかった問題が、複利となり、親であるあなたに襲い掛かってきます。
親であるあなたが、子どもの感情から気を逸らし続けていると、子どもは、感情との付き合い方を学ぶ事が出来ず、これにより、他者と長期的な関係を構築する事が出来ない大人になっていきます。
怪我をしたり、心を傷つけられたり、気持ちを否定されたりした時に、そこから、気を逸らしていては、子どもが失敗や挫折等、困難な事態に向き合う機会を邪魔する事になってしまいます。
どんな人も、怪我をしたり、心を傷つけられたり、気持ちを否定されたりする経験をします。
さらに、どんな人も、失敗する事も、挫折を経験する事も、裏切りに遭う経験をします。
必要なのは、上記のような経験を避ける事ではなく、上記のような経験に遭っても、折れない心を育てる事です。