「‥小さい頃、滑り台から落ちたことがあって、わざと落ちたの。お母さんに、心配してほしくって。お母さんは、お姉ちゃんのことばっかり見てたから。」
「上京していい大学入っても、アナウンサーになってもね、お母さんは、こっち見てくれない。」
「‥お母さんだけじゃない。私のこと誰も、一番大事にはしてくれない。ずっと。‥馬鹿みたい。こんなパーティ。」
『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』の一説です。
「記憶の固執」等の代表作を残したサルバドール・ダリ。
彼も、幼少期、わざと大理石の柱に頭から突撃をした経験を持ちます。
「何故、そんな事をしたのか?」という問いに対し、ダリは「誰も自分に関心を向けてくれなかったから。」と答えています。
人は、幼少期に、親から必要な関心を向けられないと、1つの成長段階から抜け出せなくなります。
その為、幼少期に、親から必要な関心を向けられないで育った人は、少年になっても、青年になっても、大人になっても、関心を向けて貰おうとし続ける傾向があります。
子どもが発する言動に、敏感に反応する事は、子どもを甘やかす事ではありません。
子どもが誕生してからの最初の数年間に、子どもとの時間を十分に掛けておく事は、後の人生において、その子ども自身は勿論、親であるあなたにとっても、大きなリターンとなって還元されます。
子どもが誕生してからの最初の数年間に、子どもとの時間を十分に掛ける事で、子どもは「親との結びつきを持ちたい」というニーズが、満たされる状態に慣れていきます。
やがて、その満足感が、子どもの内面に定着し「常に結びつきを求めなくても大丈夫」と、子ども自身、理解する事が出来るようになっていきます。
これに対し、親から充分に関心を向けて貰える事なく育った子どもは、周囲の人に、直接行動で影響を与える瞬間にしか、満たされる状態を持つ事が出来なくなります。
そして、この行動は、感情的な行動である事が多い為、周囲の人は、そのような子ども、若しくは青年、さらには大人の行動に嫌気が差してきます。
親から充分に関心を向けられて育った子どもには「自分は親から愛されている」という安心感があります。
その為、人間関係に気を取られ過ぎる事はなく、自分に関心を向けて貰う為に、大袈裟なパフォーマンスをしなければならないと感じる必要もありません。
自分に関心を向けて貰おうという行動に反応が得られないと、子どもはその試みをより騒がしい形で、青年は悪い事をするという形で、大人は他者を責める・裏切るという形で、実行するようになります。
高校時代、不良と呼ばれる同級生の母親と、話す機会がありました。
話題は進路に関する話となり、その母親が「あの子には、何を言っても駄目みたい。好きなようにさせるしかない。」と言っていた事を記憶しています。
高校生の私は、その母親の言動に疑問を感じた事を記憶しています。
「好きなようにさせるしかない。」という言葉は、関係が構築されている人間関係の中であれば、ポジティブな意味を持つ時もありますが、そうでない場合、その言葉は、その相手を見捨てる事にもなります。
親からネガティブな反応をされる事は、親から全く関心を向けられない事よりは、マシです。
少なくとも、その時には、親の意識の中に、子どもである自分自身が存在しているからです。
親からの関心が向けられないと、子どもは、さらに問題を起こしていきますが、勿論、これにより事態はさらに悪化し、子どもは親の関心からさらに疎外されていきます。
子どもが、悩みの種となると、親は、上手く付き合う事が出来ず、関心を向ける事も難しくなります。
しかし、これは、とても残念な事です。
そのような子ども程、幼い頃の親との断絶を、修復する為に、関心を向けて貰う必要があるからです。
私は、ケアマネジャー・相談支援専門員・公認心理士等として仕事をしていく中で、常に人の関心を引こうとする大人を、何人も見てきました。
このような人達は、そういう行動を取らないと、自分が存在していないように感じるのです。
ただ、実際に、このような人達に関わる事は、仕事をするこちら側のHPが極端に減らされます。
研究によると、精神疾患を持つ人と関わる機会がある医療・福祉で働く人が精神疾患を患う確率は、精神疾患を持つ人と関わる機会がない医療・福祉で働く人の5倍であるというデータが出ています。
全ての精神疾患を持つ人ではありませんが、精神疾患を持つ人のネガティブなエネルギーの感染力は、コロナウイルスを遥かに上回ります。
そして、そのような人達の原因を紐解いていくと、遺伝に加え、子ども時代の親との関係に解がある事が多いです。
親であるあなたが、子どもの反応に充分な関心を示さないでいると、十数年後には、自分に都合の良いように人を操ろうとする大人を育てる事に繋がります。
または、問題を起こす事でしか、人間関係を構築する事が出来ない人を育てる事になってしまいます。
子どもに必要なのは、親が関心を向ける事です。
これは避ける事が出来ない上に、近道もありません。
子どもに関心を向ける中で「よくやった」等と伝えるのは、得策ではありません。
子どもに必要なのは、ジャッジするような言葉ではなく、親との普通の対話なのです。
子どもが、幼い時から、たっぷりと対話を重ねておくと、後になって、手をかける必要がなくなります。
子育ては、仕事とは、異なり、その日やその月において、結果が出るものではありません。
しかし、毎日親が子どもに向ける関心や毎日の普通の対話の積み重ねが、数年後、否、十数年後、さらには数十年後に大きな複利となって、子どもは勿論、親であるあなたにも還元されます。
投資という視点で、子育てを観た時、仕事を辞めてでも、子どもに関心を向け続ける数年間は、価値のあるようものとなります。