…梟谷学園 春の高校バレー全国大会 決勝敗退…
「すまん‥最後‥っ俺のトスが短かった‥」
「あのボールをトスにできるのが、お前のスゴいとこ。俺は、それを決めなきゃいけないのに。どんなボールも打ちきるのが普通のエースなのに‥」
…自分を責めないでくれと言えなかった。この人には、言いたくなかった。全部ひっくるめてエースの人だったから…
「‥お前には本当に‥本っっっ当に手を焼いたけど、お前と同じチームじゃなきゃ、センターコート(この景色)は見られなかった。俺は、超ラッキーだ。‥お前‥がんばれよ。超がんばれよ。めちゃめちゃめっちゃ応援してっからな。ただのエース。」
『ハイキュー』春高決勝敗退直後の木葉と木兎の会話、赤葦の脳内言葉、そして、木葉の言葉です。
ある水泳のレースで、ある選手がアクシデントに襲われました。
レール中、ゴーグルに水が入ってしまったのです。
視界を奪われた彼は、それでも、泳ぎ切りました。
レース後、電光掲示板を見ると「WR(ワールドレコード)」と記されていました。
2008年北京オリンピック決勝、マイケル・フェルプスの物語です。
フェルプスは、トレーニングにおいて、ビデオテープを再生するかのように、繰り返し完璧なレースを想像するという習慣を持っていました。
想像と言っても漠然としたものではなく、スタート台から飛び込み、ストロークを1つ、2つ、3つ、そして、ゴール地点に着いたらターンをして、レースを終え、キャップを取り、手で顔を拭い、電光掲示板を見つめるという、その全てを頭の中で繰り返し想像していました。
その再生されるビデオテープの1つには、競技中ゴーグルに水が入るというアクシデントも想定されていた為、フェルプスは、アクシデントの中でも世界記録を出し、金メダルを獲得する事が出来ました。
メキシコ戦、オーストラリア戦のメッシのゴールを観て、20年近くメッシを観てきた人であれば「懐かしい。」という感想を持ったはずです。
その理由は、メキシコ戦、オーストラリア戦のメッシのゴールを初めて観たにも関わらず、ビデオテープを再生するかのようにブラウグラーナのユニフォームを着ているメッシの同じようなゴールを何度も観てきたからです。
「バルサでは輝けるのに、アルゼンチン代表では輝けない。」
15年以上に渡り、メッシはこのような批判を受けてきました。
確かに、バルサでは約束されていたかのように決まるゴールも、アルゼンチン代表では決まらない事が多かったです。
勿論、アルゼンチン代表の戦術の低さとメッシを支える選手のレベルの低さが原因だったのですが、それでも戦犯とされる事がエースの証です。
エースの心得
一つ、背中で味方を鼓舞するべし
一つ、どんな壁でも打ち砕くべし
一つ、全てのボールを打ちきるべし
『ハイキュー』木兎を評するエースの心得です。
アルゼンチン代表、戦術の低さは相変わらずですが、メッシを支える選手達はアルゼンチン史上最高のレベルの選手達となりました。
初戦サウジアラビアに負け、今回も史上最高の選手を見放したかのように思えたフットボールの神様。
しかし、史上最高の選手は、フットボールの神の逆風さえ、吹き飛ばしただけではなく、対戦相手に恵まれるという神も味方につけています。
1人の選手を絶対的な存在として、チームを組み立てる事では、チャンピオンになる事は出来ない現代フットボール。
ただ、現在の舞台は、プレミアリーグでも、チャンピオンズリーグでもありません。ワールドカップという運と勢いが、時に戦術を凌駕する舞台では、1人の選手を絶対的な存在として、チーム全員がその選手の為に戦うというチームが優勝する事も可能かもしれません。
そして、国歌を大声で歌うメッシの背中からは、初めてリーダーとして機能している姿を垣間見る事が出来ています。
メッシ、ロナウド、ネイマール…若しかしたら、全部ひっくるめてエースの人を観る事が出来る最後のワールドカップになるかもしれません。
木兎が高校最後の春高で皆のおかげのエースからただのエースとなったように、メッシも最後のワールドカップで皆のおかげのエースからただのエースになっています。
「世界、梟谷(うち)のエースを見てくれ」
17歳の時から毎日観ているメッシに対して、初めて、このような気持ちになっている自分がいます。
私は、ワールドカップ優勝はフランスと予想をしていますが、気持ちでは史上最高の選手に頂点を取って貰いたい気持ちで溢れています。