「最深部は、8,000メートルの日本海溝。そのプレートの沈み込み帯に、獄門彊は置いてきたんだよ。勿論、二重三重の封印の中に、検知器としての呪霊も入れてね。取り込んだ天元から裏のことは、聞いていたからね。仮に封印を解かれたとしても、君を殺せるように。」
「マジで、どうなってんだよ君は?どう?久しぶり?お寛ぎ頂けたかな?」
「オマエさ、もっと言葉を選んだ方がいいんじゃないか?今際の際だぞ。」
『呪術廻戦』羂索と五条悟の言葉です。
3世紀後半、高い丘と深い壕を持つ「古墳」と呼ばれる墳墓が畿内から九州に掛けて、出現します。
4世紀末には、巨大化しながら、全国へ拡がっていきます。
古墳には、弥生時代の「墓制」のような地域色は見られず、画一的で全国共通であるという特徴があります。
異なる地域が「墓制」を共有するのは、そこに何らかの深い繋がりがあったからです。
ここから、畿内から九州に掛けて、広域な政治連合(大和政権)が結ばれていたと推測する事が出来ます。
小学校の社会の教科書で、初めて「古墳」を観た時、私は「何故、このような古墳が今も残されているのか?」と疑問に感じました。
「クフ王のピラミッド」「秦の始皇帝の始皇帝陵」とともに「仁徳天皇陵古墳」は世界三大古墳墓の1つに数えられますが、どこか地味な印象を受けます。
しかし、その地味な印象を支えている土木技術こそが「古墳」を現代まで、残しているのです。
卑弥呼の時代に作られた「古墳」には、当時の「三国志」の一角である「魏」の国の「盛土」の技術が使われています。
「盛土」とは、低い地盤や斜面に土砂を盛り上げて、平坦な地表を作る事を言います。
「盛土」で作られた地表は、自然災害に弱く崩れやすいというデメリットがあります。
しかし「盛土」で使う土の種類を複数重ね合わせる事で、このデメリットを克服する事が出来ます。
土は、種類により、衝撃の伝わり方が異なります。
この土の性質を利用し、複数の種類の土を重ね合わせる事で、衝撃を拡散する事で「盛土」の崩壊を防ぐ事が出来るのです。
これは「豪雨」「台風」等の水への耐久にも繋がります。
「盛土」で使う土の種類を1種類だけにすると、水により「盛土」はすぐに崩壊してしまいます。
そこで、複数の種類の土を使います。
これにより、水に強い層の土・水はけのよい層の土等を重ねる事で「盛土」の崩壊を防ぐ事が出来ます。
振り返れば、小学生の頃、サッカーの練習・試合をする土のグランドにより、水はけが異なったのも、上記の技術の差によるものだったと答えを出す事が出来ました。
卑弥呼の「邪馬台国」は、現代にも通ずる土木作業の技術を持っていたのです。
当然、他国も、その技術を欲しがります。
「邪馬台国」は技術を教える見返りとして、それらの国を支配下に置くという形で、領土を拡大していったと考えれば、謎に包まれていた「邪馬台国」の実像は浮かび上がってきます。
「‥はあ、ったく今何日だ?」
「11月19日。」
「じゃあ12月24日で、いいだろ。」
「はっはっロマンチシズム?24日(イブ)に私達が予定を合わせるなんて、気色悪いな。」
「命日が、2つもあったらややこしいだろ。」
「‥勝つ気かい?」
「はっ。」
…先生と、どっちが強い?…
…うーん、そうだね。力を全て取り戻した宿儺なら、ちょっとしんどいかな…
…負けちゃう?…
「勝つさ。」
『呪術廻戦』五条悟と羂索の会話、五条悟の回想、そして、五条悟の言葉です。