「谷垣ニシパ‥。」
「チカパシ‥お前はここに残って、自分の本当の家族をつくりなさい。」
「うん。インカラマッもオレと同じ一人ぼっちだから、谷垣ニシパが家族になってあげてね。」
「この銃をお前にやる。この銃は、俺を救ってくれたひとから受け継いだ銃だ。これで狩りへ行って、ヘンケたちに世話になった恩を返せ。でも‥身体が大きくなるまで使うなよ。俺はそばで支えてやれない。その銃を使うときは、ひとりで立つんだ。」
「ひとりで立つ‥これも勃起だね?谷垣ニシパ。」
「そうだ。勃起だ。チカパシ。」
『ゴールデンカムイ』チカパシと谷垣源次郎の別れの言葉です。
4月28日発売のヤングジャンプにて『ゴールデンカムイ』が最終話を迎えました。
「お前は人を笑わせようとするな。小粋な洒落で人様を笑わせられる程、器用な男じゃねえだろ。真面目にやれ。」
「‥お言葉ですが、真面目なだけでは笑いには‥。」
「確かに真面目なだけじゃつまらねぇ。でもな真面目過ぎれば、おもしろくなる。突き抜ければ個性。愚直にやれ。それがお前の武器になる。」
『あかね噺』師匠と阿良川享二の会話です。
『ゴールデンカムイ』は、上記の師匠の言葉そのままに、真面目にふざけきり、それが突き抜け個性となった作品です。
どのような作品も他の作品と似ている部分がありますが『ゴールデンカムイ』は他の作品とは一線を画す作品です。
私は、勃起で泣かせる作品を他に観た事がありません。
絵柄は男性向けであり、男性の裸がいたる所に出て、下ネタ満載にも関わらず、読者が男性、女性半数である事にも作品の魅力を伺う事が出来ます。
私は、アイヌ文化を『ゴールデンカムイ』で学び、世界史を『Fate』で学び、神話を『終末のワルキューレ』で学びました。
伝統的なアイヌの人々は、生まれたばかりの赤ちゃんに汚い名前をつけます。
その理由は、きれいなものを好むと信じられていた病魔を赤ちゃんに近づかないようにする為です。
冒頭のチカパシという少年の名は、アイヌ語で勃起という意味です。
『ゴールデンカムイ』は、勃起をひとりで立つ=自立であると捉える事で、チカパシとの別れを悲しみだけに囚われないよう演出しています。
無数の漫画やアニメから、作者の伏線回収に関心や驚き、喜びを感じる事がありますが、これ程笑えて泣けた伏線回収に私は出逢った事がありません。
明治村とのゴールデンカムイコラボに行く事が出来た事も良き思い出です。
山に囲まれた岐阜や愛知は、私の大学時代の思い出の地ですが、現在は山の影響か、ゴールデンカムイの思い出となっています。
『ゴールデンカムイ』
私の人生を彩ってくれた大好きな作品との別れは悲しいですが、笑って別れる事が『ゴールデンカムイ』との別れにふさわしいでしょう。