スパイカーが打ちやすい以上に、最高のトスは無い。それは確かに、コミュニケーションで探っていくもの。でも、ケンカしないって事じゃねえと思うぞ3

 

 「‥ケンカですか?」

 「‥まあケンカって他人に言われて、やるモンじゃねえしな。」

 「でもアレだな。影山が言いたい事言うようになったとして、その逆はどうだろうな?実力の飛び抜けた影山は、他の連中からすれば、文句のつけ方がわからんかも知らんし。」

 

 「今日真ん中からの攻撃少ねえぞ。影山くんは、ビビってるのかな?MB(まんなか)もっと使え。」

 「あ?」

 

 「確かに、いつもと比べると少ないね。」

 「ちゃんと居ましたね。文句つける人。」

 『ハイキュー』武田先生と鵜飼コーチの会話、日向と影山のやり取り、清子さん・武田先生の言葉です。

 

 

 日本人は、自分は否定されたくないのに、他者を否定したがる。

 これが、現在、私が日本人に抱いている世界観です。

 日本人は、自分と異なる意見を言われる=自分が否定されていると、捉える人が多いです。

 

 真っすぐ否定しても、それを多様性という世界観から受け入れる欧米型コミュニケーション。

 相手の言葉の行間や空気から察する日本型コミュニケーション。

 コミュニケーションを対比すると、真っすぐな否定に慣れている欧米人と比較し、日本人は否定される事に慣れていないと捉える事が出来ます。

 

 

 では、何故、日本人は否定される事に慣れていないのでしょうか?

 

  ①村社会的な考え方

  ②NOという直接的な表現がない

 

 

 ②NOという直接的な表現がない

 日本人の言語的コミュニケーションの特徴の1つとして「NO」にあたる言葉をあまり使わないという事が挙げられます。

 言葉として「はい」「いいえ」は存在しているものの「いいえ」という言葉を、日常生活の中で積極的に使う人は、殆どいないのではないでしょうか?

 たとえば、アメリカのレストランで「Would you like another cup of coffee?(コーヒーのおかわりはいかがですか?)」と聞かれた場合、いらなかったら「No thank you.(いらないです。ありがとう。)」と答えると思います。

 

 英語は、直接的に「NO」を伝える言語です。

 日本語は、直接的な表現を好まず「大丈夫です。」等といった言葉に置き換えて、断ります。

 これが日本語の美しさである一方、このような「NO」と言わない言語性も手伝い、日本人は相手に自分の意見と異なる事を言われると、自分自身が否定されたと感じ、傷つく、若しくは攻撃されていると勘違いするという心理的傾向があるように思います。

 

 それでは、何故、日本人は自分が否定される事に慣れていないにも関わらず、相手の事は否定するのでしょうか?

 これは、村社会的な常識から外れた人は、否定されるという事の名残です。

 同時に、相手を否定する事は、そのコミュニティにおいては、自分は攻撃されないという事でもあります。

 これも謎の世界観ですが、相手を攻撃している限り、自分は正義の側であり、攻撃される心配がないという認識を持つ人が多いです。

 

 

 著名人が少し失言をしたり、不倫をしたりするだけで、SNSが大炎上する程、日本人は否定好きになっています。

 私は「NO」を言える会社や家族、友人関係が、好ましい組織であると考えています。

 1人1人が、相手の存在や意見・世界観等を尊重し「NO」を言えるものの、相手の人格を否定しない。

 私は、そのような人達と共に、人生を重ねていきたいと願っています。