「‥俺は、俺は良いトス上げてます。もっと決めて下さい。」
……。
「久々に王様節じゃない?」
「ーす」「前から言おうと思ってたけど、王様ってなんでダメなの?横暴だからだっけ?自己チューだから?でも、どっとみち、影山が何言っても納得しなかったら、おれは言う事聞かない。」
「俺は、内容はどうであれ、言い方がムカついたら聞かない。」
「左に同じ。」
「とか言いつつ、田中は自分に言われた事は多分聞くよ。仲間への礼儀に厳しいだけで。」
「まぁな。」
「まぁ俺は優しく言ってもらいたくはある。」
「だから、お前が王様かどうかは、あまり関係ない。つーか王様ってフツーにかっけえじゃんかよ。」
「‥スパイカーが打ちやすい以上に最高のトスは無い。それは確かに、コミュニケーションで探っていくもの。でも、ケンカしないって事じゃねえと思うぞ。」
「あーすまん影山。前からブロックとタイミングズラして打つの試してみてんだけど、伊達工相手には、まだ上手くいかなくてさ。でも、トスは良い感じだから、そのままで頼む。次もまたブロックに多めに摑まるかもだから、先に謝っとく。スマン。」
『ハイキュー』影山(王様)の我を忘れてしまった言葉に対する烏野チームメイト・コーチの言葉です。
日本人は、自分は否定されたくないのに、相手の事は否定をする。
最近の私の日本人に関する、世界観の1つです。
欧米等、異なる人種が入り乱れている国では「誰もが、自由に自分の意見を言う事が出来る」という文化が定着しています。
「髪を切ったんだね。私は前の髪型の方が好きだったな。」
「そういう意見もあるよね。ただ、私はね、今までやった事ない髪型に挑戦してみたかったの。」
「(前の髪型の方が良いと思うけど)似合ってるね‥。」
「(前の髪型の方が良かったと思ってるけど)ありがとう‥。」
最初の会話の例が欧米の会話、後の会話の例が日本の会話です。
欧米には「自分は好まないけど、そういうやり方や考え方があるよね」と相手の考えを、1つの意見として受け取るという文化が根付いています。
「Agree.(同意)」出来なくても「I see your point.(受け取った)」という表現があります。
考え方も文化も異なる多民族が混在している欧米では、多様性を受け入れる上記の様な会話が、意識せずとも繰り広げられています。
これに対し、日本では「空気を察してよ」「言葉尻でわかるでしょ」等という、高度で曖昧なコミュニケーションが、意識せずとも繰り広げられています。
日本人は、ハッキリと自分の考えを言わず「察して」という文化を持ったコミュニケーションをする傾向があります。
「察する」とは、相手の主張を最後まで聞かずに、何を言わんとしているのかを推測するという事です。
しかし、私を始め、どのような人でも、相手の考えや意向等を、正確に察する事等、出来るはずがありません。
日本人の人間関係に生じる問題の多くが、相手の考えや意向を察してみたものの、その察した考えや意向が相手のものとズレが生じる為に起こっていると、私は仮説を立てています。
その為、相手の行動を指摘したものの、自分の事を全否定されたと解釈するという事が、よく生じるのではないでしょうか?
真っすぐ否定されても、それを多様性という観点から受け入れる欧米のコミュニケーション。
相手の言葉の行間・間合い・空気等から察するという日本のコミュニケーション。
真っすぐな否定を受け取る事に慣れている欧米のコミュニケーションと比較し、日本人は直接的に否定される事に慣れていません。
私は、欧米のコミュニケーションを好みますが、文化や習慣の違いがあるにも関わらず、それを認めず一律に「ハッキリものを言う」事をやっても「あなたの事が嫌いなわけではなく、あなたの意見に反対している」等と言っても、現実問題のコミュニケーションにおいては、却ってトラブルの元になってしまいます。
日本人が否定に慣れていない現実がある以上、否定しない言葉や振る舞い・コミュニケーションのやり方を考え、実践する方が理に適っています。
その方法をお伝えする前に、もう少し日本的コミュニケーションの裏にあるものを探っていきたいと思います。
では、また明日。