先週、フットボール界において、スーパーリーグ構想という新たなアイデアが公式発表され、発表後1日で頓挫しました。
マクロンやジョンソン等、大統領もTwitterで反対を表明していました。
プレミアリーグのビッグクラブも参加を表明していましたが、サポーターや選手、監督等の反対にあい、撤退を選択しました。
私は、この一連の騒動をみながら、徳川慶喜を思い出しました。
「将軍にはなりたくない。」等と主張し、自らの判断で将軍になったのは、家康と慶喜だけではないでしょうか。
また、長州征伐に出陣すると言ったにも関わらず劣勢とみるや取りやめ、戊辰戦争においても戦うと言っていたにも関わらず1人勝手に江戸に戻る等、慶喜はニ心殿と呼ばれていました。心が2つあるような男、それが慶喜です。
その反面、尊王攘夷が叫ばれ異人は敵という常識の中、海外との交易をすることでしか、日本が世界の中で生き残ることは出来ないと主張し、次々と日本を開港させたのも慶喜です。
移り変わる心と目的の為に批判を恐れない心、慶喜にはそんな2つの心があります。
今回のスーパーリーグ構想、私も反対ですが、新たな構想を発表していく行動力には、賛同します。
UEFAやFIFAの言いなりになるのではなく、自らの利益を追求する姿勢はある意味、フットボールチーム、基、会社としては当たり前の行動であると捉えることが出来ます。なぜなら、社長は会社を守ることが最大の仕事だからです。
駿馬の足の如く、生涯の前半を駆け抜けた慶喜。
その反面、鈍牛の角のように、ゆっくりと目的の為に突き進む西郷達に敗れる形になった慶喜。
明治維新後、静岡に蟄居させられた慶喜は、そこで溢れる才能を趣味に向け、穏やかに生涯の後半を生きます。
結果、慶喜は西郷よりも、大久保よりも、木戸よりも、長く生き、その後の日本を確認していきます。
生涯という長いステージを考える時には、早いだけでは駄目で、遅いだけでも駄目です。
駿馬と鈍牛を組み合わせ、行動していくことが大切であることを、慶喜の人生から学ぶことが出来ます。