トランクス‥おまえは、赤ん坊の頃から、いちども抱いてやったことがなかったな‥

 

 「トランクス‥おまえは、赤ん坊の頃から、いちども抱いてやったことがなかったな‥。」

 「へ?」

 「抱かせてくれ‥。」

 「‥?」

 

 「トランクス‥ブルマを‥ママを大切にしろよ。」

 『ドラゴンボール』ベジータとトランクスのやり取り、そして、ベジータの言葉です。

 

 

 

 私は、1日に3~4件程度、介護保険の認定調査等で、様々な高齢者の自宅を訪問しています。

 都内では、高齢者が建てた家若しくはマンション、または元々高齢者の家だった自宅を建て直した家やマンションに、その息子や娘、さらには、その息子や娘の息子・娘(高齢者からみると孫)が同居をしている事が多いです。

 認定調査等では、高齢者だけではなく、同居をしている、その息子や娘が立会いをされるケースが多いです。

 

 「小さな子どもに夜中起こされるのは、その時にしかない素晴らしい経験だ。でも、介護は違う。本当に辛い。」

 上記のような言葉を残す、息子や娘が、一定数存在します。

 そのような気持ちになる事は理解出来る部分はありますが、何十年も前の良い思い出だけを思い出し、現在その辛さに直面している人に自身の思い出という価値観を押し付けてくる事に、違和感を感じてしまいます。

 

 また、子育てをする世代は、30代~40代の、最も働かなければならない時期です。

 これに対し、介護をする世代は、60代~70代の、そこまで働かなくてもいい時期です。

 これに加え、都内に自分の親が家若しくはマンションを所有している息子や娘は、60代以前から働かなくても良い資産を持っているようなものです。

 どちらに夜の睡眠が必要かは、明白ではないでしょうか?

 

 自宅と土地を親から貰ったも同然の息子や娘が、親の介護をする事は当たり前とまでは言わないまでも、するべき事ではないかと考えるのは、ズレた価値観でしょうか?

 産まれた時から不況であり、そのような中で、懸命に仕事をして、子育てをして、給料は上がらないのに物価だけは上がっていく世の中を生きている私達のような世代と比較すると、現在の高齢者は「超ゆとり世代」50~70代の世代は「ゆとり世代」であると感じてしまい、時折、懸命に働く事がバカバカしくなってしまいます。

 

 

 

 私は、現在でも、漫画の中の世界観で生きている節が強いです。

 しかし、その世界観と、現代の最も大切な存在である家族から、求められる世界観が、異なる事に、最近になり、気付きました。

 

 悟空やベジータ、ルフィやゾロの様に、修行をし、自分と向き合い、新しい敵と闘い、自分を超えていくー。

 私は、これを現実社会に置き換え、修行(勉強)をし、自分と向き合い、新しい敵(新しい仕事)と闘い、自分を超えていくー。と置き換え、そのサイクルをずっと回してきました。

 その成果としてお金を得て、これにより、家族も幸せになっていくものと思って‥。

 

 

 しかし、この世界観は、家族(パートナー)から、求められる世界観とはズレています。

 確かに、スーパーやコンビニで値段を気にせず買物が出来たり、好きな場所に旅行に行く事が出来る等の経済的な幸せは大切です。経済的にある程度余裕がないと幸せになる事は出来ないとも思います。

 

 ただ、それとともに、否、それ以上に、夜中子どもが泣いた時に対応をするであったり、子どもに関する手続きをする、パートナーと向き合う時間を作っていく等が、望まれている事なのです。

 現代は『ドラゴンボール』や『ONEPIECE』の世界観では、家族として生きていく事は出来ない時代になっています。

 

 

 私は、時折、電子レンジも使った事がなく、自分で役所の手続きをした事もなく、子育てに参加した事もないという高齢者を見て、羨ましく感じてしまいます。

 実績を上げなくても人口ボーナスによりただ会社に所属していただけで給料は上がり続け、収めた年金の7倍以上の年金を受給し続けるだけではなく、男性に至っては、家事も役所の手続きも、子育てもしなくて良いという現在の高齢者を「ズルい」と感じてしまうのは、持ってはいけない感情でしょうか?

 

 

 悟空やルフィのような生き方を、家族を持ってする事は、現代では困難です。

 それでも、私は、いまだに彼らの世界観で生きていきたいという願望を持っています。

 これからの生き方を、自らの人生を、実験としながら、試していきたいと思っています。