「伯理(はくり)との交換で、取引は成立した。淵天(えんてん)は、私のモノだ。返してもらおう。」
「随分冷静なんだな。想定外が続いただろ。」
「最善を尽くしたうえでの結果なら、受け入れられる。‥それに、まだ私には、楽座市の為に懸ける命がある。」
「最善は、ハクリを信じることだった。」
「舌戦などする気はない。ここからは、淵天と楽座市を賭けて、死闘だ。」

『カグラバチ』千紘と漣家当主・漣京羅の会話です。
日本人には馴染みが薄いかもしれませんが、人の営みには「交渉」がつきものです。
人の営みに「交渉」がつきものである事を、私は20歳の時に1人でインドを旅した時に、強く感じました。
彼ら彼女らは、こちらが「交渉」をしなければ、平気で、市場の2~3倍の値段で、お金を請求してきました。
日々「交渉」を重ねる事は、仕事に限った話ではないのです。
★買物に行って貰う
☆子どもの面倒をみて貰う
★休みの希望日を上司に伝える
人と人との繋がりは「依頼」と「同意」が繋がっており、毎日が「交渉」の連続なのです。

「心理学」「行動経済学」等を教養として知っていれば「交渉」を、優位に進める可能性が高まります。
♦大きなお願いは、小さなお願いの後に
受け入れられやすい小さな依頼を最初に持ち掛け、それが承諾された後で、よりハードルの高い本当の目的を提示するという手法があります。
「心理学」において、この手法を「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」と呼びます。
アメリカの心理学者、フリードマンとフレイザーは、1966年この手法の効果を検証しました。
彼らの本当の目的は、住宅の庭先に、交通安全の大きな看板を設置して貰う事でした。
①最初から、住宅の庭先に交通安全の大きな看板の設置を依頼した場合
②まず小さなステッカーを自動車に貼って貰い、その後に、大きな看板の設置を依頼した場合
①の方法で依頼した場合、承諾をした住民は、16,7%でした。
②の方法で依頼した場合、承諾をした住民は、76,0%でした。

♦小さなお願いから始める事は、人の認知のクセをついている
何故②の方が、5倍以上も大きな看板を設置してくれたのでしょうか?
②のステッカーのお願いは、ハードルが低いです。
それでも、お願いを聞いてあげる際「私は、交通安全を意識しているし、頼み事も聞いてあげた。」という気持ちが生まれます。
人は、気持ちの一貫性を保ちたくなる生き物です。
気持ちの一貫性を保つ為に、その後に、大きな看板の設置をお願いされた場合に、承諾をしてしまうのです。
これは、何故でしょうか?
ここで承諾をしないと「交通安全を意識し、頼み事を聞いてあげた良い人」という自己イメージと、矛盾するからです。
その後も承諾をした住人は、ステッカーや看板を観る度に「こうしてずっと応援をしてきたのだから、キャンペーンを盛り上げないといけない」という「埋没コスト」も生まれ、さらに協力して貰う事が、容易となります。
選挙の支援をする人や推しを求める人達等にも、これらの「認知のクセ」が働いています。
小さなお願いから始めて、大きなお願いを聞いて貰いつつ、好意的な応援までして貰う。
これは「認知のクセ」を利用した交渉術です。
注意点が1つ。
小さなお願いに続く大きなお願いには、小さなお願いと関連しているお願いである事が必要です。
意外にここを外す人が多いのですが「交通安全のステッカー」をお願いした後に「震災の被害者への寄付金」をお願いしても、お願いを聞いて貰える可能性は低くなります。
「‥感情的になれるんだな。自分の息子達の死は、悲しめないのか‥。」
「楽座市が終わっていない。今、悲しんでも仕方がない。皆、役割を全うした。私も、続くのみだ。」
「それが父親か‥!!」
「父親‥君がどんな物差しを据えているのかは知らんが、その言葉で、私を測ろうとするのは、間違いだよ。私は‥漣家当主だ。」

『カグラバチ』千紘と漣家当主・漣京羅の会話です。