太平洋戦争時、日本の航空機作りは現在まで続く大企業三菱と中島飛行機製作所の2つが請け負っていました。
中島飛行機製作所は、中島知久平が海軍を辞め、1から作り上げた会社です。
中島は海軍所属時代、変わり者として有名でした。
中島は休憩時間すぐに外出をし、1人海を眺めていました。
上官に「何をしている?」と聞かれると、「鳥を見て飛行機作りのヒントを得ようとしています。」と答えます。
アメリカに留学時、海軍の許可を得ずに自己判断でパイロットのライセンスを取得します。
上官に問いただされると、中島は「飛行機を作るには自分が乗れないと駄目です。そのため、私は軍規に背いたとは思いません。」と答えます。
自分で考え動く中島にとっては、海軍という組織は窮屈でした。
飛行機を作るにも海軍であると10年かかるものが、民間であれば1年で完成すると中島は感じ、海軍という組織を飛び出します。
そんな中島が伝えた言葉が印象的です。
「一方に善からんとすれば、一方に善からず。」
何かを選択するということは、何かを選択しないということです。