「不安って…未来に起こりそうな悪いことを、いま心配しているんだよね。そのときになってから、心配すれば?いまは、何も起きていないし。」
「…。まあ、そうだけど。みんなが、それできたらアメリカ中のセラピストが失業するかもね。」
「…不安って、大体どれくらい苦しいのかな?」
「どれくらいってーすっごいヘビーよ。グラフにして見せるわけにもいかないけど、みんな不安を解消したくて、働いたり、お酒飲んだり、マリファナでトんだりしてるんじゃない?…たぶんね。」
『ダーウィン事変』チャーリーとルーシーの会話です。
2013年ワシントン大学が、44カ国のデータをまとめたメタ分析によれば、不安障害を患う人の数は、全世界で13人に1人の割合となりました。
人生のどこかのタイミングで、不安障害に苦しんだ経験がある人の数までカウントすれば、不安障害の発症率は、3人に1人まで跳ね上がります。
日本においても、不安障害の数は年々増え続けており、2011年厚労省の調査においては、不安障害の治療を受けている患者の数は157万人とされています。
この数字は、1996年のデータの2倍以上となっています。
不安は、いわば文明病とも表現する事が出来ます。
不思議な事に不安障害も、鬱病も、発達障害も、文明が発達すればする程、その病に苦しむ人や家族は増えていきます。
しかし、現代人にとって不安は日常的な感情ですし、厳しい環境で暮らす私達の祖先も日常的に不安を感じていたはずです。
では、私達が感じる不安と、森やサバンナで暮らしていた私達の祖先が感じる不安の違いとは、何でしょうか?
その答えは、ぼんやりした不安と、はっきりした不安です。
森やサバンナで暮らしていた私達の祖先の不安は、シンプルで対処しやすいものでした。
猛獣に襲われれば戦うか逃げるかの二択を選ぶしかありませんし、食べ物が見つからなかければ探し回るか飢えを我慢するかの二択しかありません。
仮に、病気になったとしても、休息しながら栄養を摂る以外に方法はありませんでした。
これに対し、現代を生きる私達の不安は、二択のような単純なものは、ほとんど存在しません。
仕事の人間関係が嫌でも、生きていく為に我慢をしていくのか、辞めて新たな挑戦をするのか、しかし、家族との生活を考えるとブレーキをかけざるを得ない等、私達の不安はとても複雑であり、またその選択をしなくても、今日も生きていく事が出来ます。
私達の祖先の不安をはっきりした不安とすれば、現代を生きる私達の不安はぼんやりした不安なのです。
ただ、このぼんやりした不安は、私達の脳のパフォーマンスと人生の質を大幅に低下させます。
不安は、悪い感情ではありません。
私達は、不安があるからこそ、勉強をしますし、家族との関係を良好に保つように努力しますし、仕事において成果を上げようと努力します。
しかし、不安との付き合い方を間違えてしまうと、メンヘラと付き合うかの如く、自らの心を蝕まれてしまいます。
不安と上手く付き合っていく。
これが、現代を生きる上で欠かせない能力である事は、間違いありません。