「今日は、かなり積極的に上がりを見せていますね。今日は、じゃないですね。今日も、です。これが彼の正常運転です。」
パリ戦を実況する西さんの、セルヒオ・ラモスに対する言葉です。
パリVS川崎の試合を観ながら、ガルティエが取り入れたパリの新システムである3-4-3では、ヨーロッパで頂点を掴む事は困難であるという話をしました。
現代フットボールは、1人の選手が1,5人分の仕事をする事が、当たり前になっています。
3-4-3では、時折システム上の障害により、1人の選手、特に3センターの両サイドとサイドハーフが、0,5人分の働きしか出来なくなります。
これに加え、チームにおいて最も重要な部分である真ん中が、2人だけになってしまう3-4-3、4-4-2のシステムでは、中盤で攻撃においても、守備においても、数的不利となってしまうからです。
フットボールにおいて、最も重要な戦術は、守備においても、攻撃においても、数的有利を作る事です。
これは、フットボールに限らず、他のスポーツにおいても、仕事においても、古くは戦においても、最も効果的に勝利を掴む為の方程式です。
私自身、高校時代に3-5-2から、4-4-2にシステムを教員が変えた時「これでは、中盤で数的不利になってしまう。」と意見を伝えた事があります。
これに対し、教員は「お前、出来ないのか。」等と怒ってきました。
私が出来る・出来ないではなく、システムの話をしているにも関わらず、感情論でしか話す事が出来ない教員に失望した事を記憶しています。
2010年代に入り、スポーツ界において、スター選手は、他者の犠牲の上に成り立っている事が、次第に多くのファンの間でも、理解されてきました。
メジャーリーグでも、NBAでも、各チームが選手関連データの統計解析を行った所、スタープレイヤーとの巨額の契約は、スタープレイヤーでない選手との契約と比較し、費用対効果が低い事が証明されています。
フットボールにおいては、2000年代から、銀河系軍団により、この事は証明されています。
そして、これはスポーツに限った話ではありません。
アメリカにおいては、ウォールストリートやシリコンバレーにおいても、ビジネスのスーパースターという神がった存在への信仰が薄れてきています。
目標と業績評価を精査する事で、プレイヤーが現実的な成果として、チーム全体に、どれだけ貢献しているかが見える時代になってきました。
現代では、データに裏付けされていない、スター性やハロー効果では、試合に出る事も、困難となってきています。
移籍を懇願したロナウドが、移籍が叶わなかった事も、ここに要因があります。
マドリーでも、ユーべでも、ユナイテッドでも、得点王を取り続ける等、結果を出し続けてきたロナウド。
個人の数字は世界一でも、彼の得点に隠れ、チームの総得点は下がっていたのです。
点を取るのはエースでなくても、チームの得点数が上がればいいという考えが、現代のフットボール、否、社会全体の傾向です。
私は、最近パリの試合を観ながら、笑ってしまいます。
ラモスが、3-4-3の3の右センターバックであるにも関わらず、前半から攻撃に参加したくて仕方ない様子が、画面越しに伝わってくるからです。
試合終了間際やセットプレイとは関係なく、センターバックがボールを持っていないにも関わらず、当たり前の顔をしてセンターフォワードにいる事を、目撃したのはラモスが初めてです。
そんなラモスの覇気には、同じ覇気使いのネイマールも、パスを出さざるを得ません。
ラモスは、ただ攻撃をしたいだけでしょうが、センターバッグが、数的不利となる中盤に入る、または中盤を追い越す事で、そこに混乱(カオス)を作るという戦術もありです。
私は、フットボールの進化も、社会の進化も、良い傾向であると考えています。
フットボールを観る時には、個人の選手以上に、チームという生き物を観る事が好きです。
しかし、フットボールの試合を観る時に、そこにスター選手がいない事は寂しいものです。
子ども達は、戦術ではなく、スター選手に憧れ、ボールを蹴り始めます。
私は、15年程ともに時間を過ごしてきた時代に抗うスター選手達を観る事で、今日も生きていく希望を貰っています。
システムからは、生きる希望は貰えません。
フットボールの進化を願うとともに、それに抗うスター選手を応援しています。