「まさか‥刀の勝負で握り飯を使われるとは。」
「そう思う時点で、君は、逃げ下手だ。刀で勝つ事に囚われている。」
「刀で勝つ事に囚われれば、刀が強い物しか勝てない。矢で勝つ事に囚われれば、優れた弓取りを揃えた側しか勝てない。弱者が、強者に勝つ秘訣は、固定観念という囚われの折から逃げる事にござる。」
「刀が満足に使えなくとも、丸太をくりぬき籠城のための雨水を蓄える事は出来る。油を撒いて、橋を燃やす事は出来る。糞を出して投げる事など、赤子でも出来る。戦闘のための兵や武器、筋力や技術は‥わずか一瞬発揮できれば、百倍の敵にも勝てるのでござる。」
…囚われの檻から、逃げる…
「常識。伝統。美学。成功体験。大兵力。そういった檻に囲われた者は、固く強いが、檻の隙間を突かれると、逃げ道が無く、とことん脆い。弱者は、檻に囚われるべからず。卑怯や臆病と言われようが、自信を持って逃げるべし!」
『逃げ上手の若君』北条時行と楠木正成の会話です。
昨日映画『刀剣乱舞廻-々伝 近し侍らうものら-』を観に行きました。
『ハイキュー』『僕のヒーローアカデミア』『ブルーロック』等も女性ファンが多く、客席の男女比は、女性8対男性2程度である事が多いですが「刀をイケメンに擬人化した刀剣乱舞」においては、私以外全て女性という空間が出来上がっていました。
これは、私自身初めての体験で、新鮮でした。
「土方さんは、坂本龍馬のように大きな未来を描けるような人ではなかった。忠義を尽くすことに全霊を注ぎ、それを周囲にも強く求めた。規律に厳しく融通もきかない。それに命を懸けた人だ。でも、そんな土方さんを俺は好きだった。だから俺は、俺の忠義を尽くす。」
『刀剣乱舞』和泉守兼定の言葉です。
私は、上記の言葉以上に、土方歳三の心理状態を描いた言葉を知りません。
上記の和泉守兼定の言葉にあるように『刀剣乱舞』においては、一番近くで持ち主(元主)を見てきた刀と、元主との邂逅がある所が、私は好きであるとともに、とても勉強になります。
一番近くで見てきた刀だからこそ、元主の栄光だけではなく、苦悩も孤独も不安も、感じ取る事が出来るのです。
『刀剣乱舞廻-々伝 近し侍らうものら-』の主役の1人。
へし切長谷部。
その不思議な名前の裏には、織田信長の逸話があります。
ある日、観内という茶坊主が、信長の前で粗相をしました。
激昂した信長は、茶坊主を斬り捨てようとします。
しかし、茶坊主は、棚の下に隠れてしまいます。
振り上げても斬る事が出来ない信長は、棚の下に刀を差し入れて、茶坊主の身体に軽く当てました。
すると、軽く当てただけにも関わらず、その刀を茶坊主の身体を「圧し切って」しまったのです。
この恐るべき切れ味を讃えて、信長は、この刀に「へし切長谷部」と名付けました。
その後「へし切長谷部」は、信長から毛利討伐への献策の功に報いる為、黒田官兵衛に渡されました。
官兵衛は、信長配下の武将ではありますが、直臣でもなく、秀吉の軍師です。
直臣でもない、官兵衛にあっさりと渡す事に対して、擬人化した「へし切長谷部」は、不満を持ち、信長に恨みを持っています。
『刀剣乱舞廻-々伝 近し侍らうものら-』においては、そんな「へし切長谷部」が、官兵衛と邂逅します。
舞台は、毛利討伐の総仕上げ、備中高松城。
そして、本能寺の変の前日です。
『刀剣乱舞』を観る事で、戦国・幕末を、起こった出来事だけではなく、その出来事に組まれた各人の思いを知る事が出来る為、歴史を立体的に観る事が出来るようになります。
戦国・幕末に次ぐ、エキサイティングな時代は、源平合戦から義経という天才が現れ、頼朝と義経の兄弟間の確執が描かれる時代と、足利尊氏と新田義貞により鎌倉幕府が倒され南北朝で天皇が2人存在した時代でしょう。
『逃げ上手の若君』は、後者の物語です。
実は、鎌倉幕府において、頼朝に代表される源の血筋が将軍として君臨したのは、3代までです。
先の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公・北条泰時とその子孫が暗躍し、1203年以降は執権として、実質の権力を握っている時代。
これが、鎌倉時代の政治です。
そして、その執権北条氏の正当な後継者である北条時行が、足利尊氏と新田義貞に、鎌倉幕府を滅ぼされてからの物語。
それが『逃げ上手の若君』です。
かなりの歴史通でないと、この時代の理解は難しいですが、アニメ化もされている現在において、アニメでも、コミックでも『逃げ上手の若君』を観る事で、この時代も立体的に観る事が出来ます。
実は、足利尊氏と新田義貞が鎌倉幕府を倒す以前にも、鎌倉幕府を倒そうと行動をしていた男がいました。
それが、後醍醐天皇です。
天皇自ら、鎌倉幕府打倒の為に行動している事に驚きです。
しかし、後醍醐の思惑は、密告によりバレてしまい、後醍醐自身は罪を免れるものの、彼の側近達は流罪になってしまいます。
その後も、後醍醐は諦めずに、倒幕の計画を立て、挙兵しますが、敗れ、流罪となります。
時を同じくして、後醍醐同様、幕府に反旗を翻し、孤軍奮闘する男がいました。
これが、楠木正成です。
正成は、和泉・河合国を中心にゲリラ戦を展開し、鎌倉幕府を悩ませ続けます。
しかし、そんな正成も、1332年千早城に追い詰められます。
『ONEPIECE』さながら、正成の首には莫大な懸賞金が掛けられ、1,000,000の兵が、正成の首を求めて、千早城に群がりました。
これに対して、正成の兵は、僅か1,000人でした。
ところが、この兵力差をもってしても、千早城は落城しませんでした。
★藁人形を囮として敵を引き付け、上から巨石を落とす
★煮え湯や便をかける
★松明を投げ落とし、油を注ぐ
常識・伝統・成功体験とは、全く逆の戦い方をし、正成は、100倍の数の敵に、負けなかったのです。
偶然か必然か、正成が奮闘し、鎌倉幕府の視線を一挙に集める中、後醍醐は囚われの中脱出しし、諸国に倒幕の綸旨(命令書)を出します。
その結果、各地で有力武士達が、鎌倉幕府に反旗を翻し、形成は逆転します。
常識・伝統・成功体験に囚われない楠木正成という1人の男の、粘りが、時代を大きく動かしたのです。
「鳥は何故自由で恰好良う映るか?この空全てが、逃げ場だからでござる!」
「縛られず、囚われず、広く高く、広大な逃げ道を常に征くべし!逃げる事は、生きる事。この正成の信念にござる。」
『逃げ上手の若君』楠木正成の言葉です。