「うるせええ!!!こちとら生まれた時から、貧乏人!明治になっても、貧乏人!時代が変わっても、貧乏が変わらねえなら、金を稼ぐ他に仕様が無えだろうが!!」
「てめえら、土に作った粥を喰ったコトあるか?雑草だけの鍋を喰ったコトあるか?どっちも目から垂れる塩気がなけりゃあ喰えたもんじゃねえって知っているか!?」
「維新の英雄様にわかるか?御典医の愛娘にわかるか?御庭番の天才跡取りにわかるか?つーか、てめえら全員美男美女じゃねえか!わかられてたまるか!!」
「頭脳も!肉体も!美貌も!人徳も!血統も!才能も!およそ力と呼べるモン何一つ天から与えられなかった持たざる者が、人並み以上になるには、金しかねえ!!!」
「人斬り抜刀斎‥貴様に助けられるくらいなら、一文も稼げない本物の亡者になる方が、まだマシだ‥‥!!悪事に手を染めても、牢獄に繋げられても、糞尿を掻き分けてでも、命ある限り金を稼ぐ!金を稼ぐのが、武田観柳だ!!」
『るろうに剣心-北海道編』武田観柳の言葉です。
歴史に、if(もし)があったらと、妄想をする事が、歴史の楽しみ方の1つです。
もし、秀吉が、若き日に、子どもを授かったとしたら、徳川の天下ではなく、豊臣の天下が、後の世も続いたかもしれません。
天下統一を果たした秀吉にも、悩みがありました。
その悩みとは、跡継ぎです。
秀吉には、正室・側室・妾等が100人以上いましたが、跡継ぎとなる子どもが、出来ませんでした。
秀吉が名もない頃から支えた寧々と秀吉の仲は良く、寧々は、秀吉に対し、間違っていると伝える事が出来る数少ない人物でもありました。
子どものない秀吉と寧々の元に、加藤清正・福島生則・黒田長政・小早川秀秋等の名だたる武将が家族のように集まり、団結をしていた要因は、寧々が彼らを我が子のように愛してきたからです。
しかし、時を重ね、天下人となった秀吉は、寧々の意見にも耳を貸さなくなり、妊娠可能な若き女性に夢中になっていきます。
そんな中、秀吉53歳の時に、茶々(後の淀殿)が、妊娠します。
当時の平均寿命が、37~38歳である事から、53歳は現代でいえば、80代や90代といった所でしょうか。
諦めていた子宝に、秀吉が、飛び上がるばかりの喜びを持った事は、想像に難くありません。
ただ、当時を生きる人も、現代と生きる人と変わらず、人の噂話や悪口が大好きでした。
数十年も子どもが出来なかった秀吉に、嫁いできたばかりの茶々が秀吉の子どもを授かるのは、どうもおかしい‥。その子どもは、他の子どもではないだろうか‥。
そのような中でも、1589年、茶々は、無事に出産をします。
子どもは「棄(すて)」と名付けられ、後に「鶴松」と改められます。
秀吉は、喜びのあまり、すでに跡継ぎに指名していた豊臣秀次がいるにも関わらず「鶴松」を後継者にすると公言します。
しかし、天下人でも、思い通りにならないのが、人生。
予期せぬ幸福が訪れる事もあれば、どん底に叩き落されるような絶望が訪れる事もあります。
「鶴松」が、2歳で病死してしまうのです。
秀吉は、目も当てられない程、憔悴してしまいます。
幸か不幸か、後の1592年の暮れ、茶々は、再び妊娠します。
この時、秀吉は、57歳。
日本全体の利益よりも、自分自身の願いを叶えるためだけに政治をする姿が、見受けられてきた秀吉。
すでに、政治を司るような能力はなく、時には、現在における認知症のような症状が出ている頃でした。
「鶴松」の病死の影響が、まだ秀吉に残っているのか、茶々の妊娠を知った秀吉は、最初の正室である寧々に下記のような書状を記しています。
…私の子は鶴松であったが、この世を去ってしまった。今度の子は、茶々一人の子にしたらよいのではないだろうか…
しかし、実際に2人目の子どもである「秀頼」が生まれると、秀吉は溺愛します。
「秀頼」を後継者にする為、自ら後継者に指名した秀次を死に追いやります。
「秀頼」が、4歳の時には、下記のような手紙を記しています。
…ただちにそちらへ参りまして、口を吸いたく思いますぞ…
この手紙の翌年、秀吉は、死の床につきます。
秀吉は、家康を枕元に呼び寄せて「秀頼を頼む。」と家康の手を強く握ったと伝えられています。
後に、家康により、溺愛する秀頼が窮地に追いやられる未来を予知していたのでしょうか?
悲しくも、その予知は、現実のものとなり、家康は秀次を倒し、豊臣家は完全消滅し、豊臣の天下は、僅か10数年程度で終わってしまいました。
子どもも、金で買う事が出来ない、天から授かるものです。
もし、秀吉が、若い頃に、子どもに恵まれていたのなら、一緒に天下統一を果たし、その子が天下を治める地盤を構築する事が出来たでしょう。
しかし、秀吉が亡くなった時に、秀頼は、まだ5歳。
遅い子宝により、子どもがいない事を前提に築いてきた豊臣政権を秀頼への溺愛により秀吉自身が壊してしまうという結果になり、これが家康に天下を狙う隙を与える事になります。
秀吉に若き日に子どもがいたらというifに加え、もし秀頼が生まれていなかったというifがあったら、それも豊臣政権の継続に繋がったのかもしれません。
どんな成功者にとっても、ままならないのが、人生です。