「人間の定義を云うとほかに何もない。ただ入らざる事を捏造して自ら苦しんでいる者だと云えば、それで充分だ。」
夏目漱石著『吾輩は猫である』の一文です。
人は、自らが作り出した物語の中で生き、その物語はその人の法律であるかのように、その人を縛ります。
その物語が課題解決等の為に働けば問題ないのですが、時にその物語は悪法のように私達を悪い結果に導くことがあります。
脳のサーチエンジンは、とても優秀で、外界の刺激を受けてから、自らの法律を導き出すまでの時間は1ミリ秒、つまり1,000分の1秒です。
これは、私達の意識の外にある速さであり、私達が描く物語は私達の意識とは関係なく、描かれています。
では、この物語は、どのように描かれているのでしょうか?
これは、遺伝的な要素と人生のあるゆる経験を基に作られます。
遺伝的な要素はどうすることも出来ない為置いておくとして、両親や友人との関係性、学校や会社での失敗体験、他者からの何気ない一言、これらが悪法を作る要因です。
全ての体験は、私達の脳にデータとして記憶され、歪んだ物語、つまり悪法を作る土壌として働きます。
その中でも、特に悪法を作り出しやすい要因が3つあります。
1つ目は、幼少期のトラウマです。
子ども時代に虐待を受けた人は「私は誰も信用すべきではない。」との思いを抱きやすい傾向にあります。
また、子ども時代に貧困を経験した人は、問題を起こしやすく、無力感を持つ傾向にあるというデータがあります。
2つ目は、世間の世界観がそのまま取り込まれてしまうケースです。
現代の日本でいえば、空気を読むことや、他者と異なる意見を言ってはいけない、SNSへの誹謗中傷、漠然とした未来への不安等でしょうか。
さらに、学歴や社歴の低さや病気や障害をマイナスに感じている人は、世間というよくわからない空気に誰よりも敏感になる傾向にあります。
3つ目は、日常の些細な出来事が法律として植え付けられるパターンです。
たとえば、友人に外見を笑われた日の記憶や、テストで良い点を取ったのに親から無視されたショック、友達から約束を破られた悲しさ等、あらゆる体験があなただけの法体系になります。
どの体験が法律に採用されるかは、その時の年齢や遺伝的な要素である部分の性格等により異なり、私達にはコントロール出来ません。
人は、脳が作り出した物語を生きていることを事前に知っておくことで、その対策を立てることが出来ます。