人生において楽しいか楽しくないかなど、私からすればささいなことに過ぎん

 

 「…ハァ…ハァお前のような自由の無い押し付けがましい生き方じゃ、誰からも好かれないし、損するだけだ。いくらそれが回り回って人のためになるのだとしても、社会のために自分を殺す。それでも生きてて楽しいのかァ。」

 「…フン、私はそれで構わん。人生において楽しいか楽しくないかなど、私からすればささいなことに過ぎん…」

 「いいな。それ。」

 「たまにはいいんじゃないか。不自由な生き方も。」

 『マッシュルーMASHLEー』ファーミンとオーター・マドルの会話です。

 

 

 私は、高校生位から、合コンに行っても、カラオケに行っても、友達と買物に行っても、あまり楽しくありませんでした。

 よく「ノリが悪い。」と言われてきました。

 また、仕事においても、数年前ある人に「仕事好きですか?」と聞かれ、「好きでも、嫌いでもないです。」と答えたら、何故か怒られました。

 

 今を楽しむ事によって得られる幸福感と、苦しい事を経験しながら振り返った時に「やって良かった」と感じられる満足感がもたらす幸福感、どちらの方が継続的に幸福感を感じる事が出来るでしょうか?

 実験の結果は、苦しい事を経験しながら振り返った時に「やって良かった」と感じられる満足感がもたらす幸福感の方が、継続的に幸福感を感じられるというものでした。

 穏やかに波風立てず暮らす幸せもあります。

 しかし、後で振り返った時「あの時は大変だったけど、良い経験だった」と思える事の方が、脳はより幸福を感じるように設定されています。

 

 変化のない、つまり、挑戦する事のない毎日は、短期的にみれば幸福かもしれません。

 しかし、ずっと困難やストレス、変化を避け続けていると「楽だったけど、もっと何か出来たのではないか」という苦しさにジワジワと追い詰められてしまいます。

 あなたが思いつく程度のやってみたい事は、やってみても問題のない事です。

 

 

 「ツッキー、最近のバレーはどうだい?」

 「…おかげさまで」…本当に、おかげさまで…「極たまに面白いです。」

 『ハイキュー』黒尾とツッキーの会話です。

 

 ツッキーの言葉通り、楽しいは極たまに程度が丁度良いのかもしれません。