「恥の多い人生を送ってきました。」
太宰治『人間失格』の冒頭の文章です。
私が、『人間失格』を読んだのは20歳の時でした。
主人公大庭葉蔵が、子どもの時、体育の授業で鉄棒から派手に落ちるシーンがあります。
葉蔵は、頭がいいと思われるのが嫌で、自らを装い、道化を演じていました。今回も笑いが取れた為、内心「上手くいったぞ。」と感じていた時、暗い印象しかなかった武一に「わざとでしょ。」と耳元で囁かれます。
このシーンを読み、自らも似たようなことをした記憶が蘇るとともに、多くの友人の顔が葉蔵と重なるようにして脳裏に浮かびました。
このように、『人間失格』からは、「それ、わかる。」というように共感出来る人が多いことが、現在でも売れ続けている一因であると思います。
児童虐待、不倫、人格障害、双極性障害、アルコール依存症、薬物依存症等、葉蔵は、現在でこそ名前が付けられている多くの病気を抱えていることが理解出来ます。
しかし、当時では病気と知られることはなく、「あいつは、おかしい。」というだけの印象であったように思います。
昔話では、おばあさんが憑りつかれたや狐につままれた等と表現されることが多くありますが、あれは認知症の症状です。
「葉ちゃんはね、神様みたいな人だったのよ。」
『人間失格』最後の文章からは、太宰の願いが詰まっているように感じます。