幕末、考え方・行動等で相対していた藩として会津と長州があります。
会津は幕府側で、長州は討幕派です。つまり、明治維新会津が敗者、長州が勝者です。
日本史をさらに遡れば、関ケ原においては、会津が勝者、長州が敗者です。
長州の正月、「幕府討幕はいかがいたしますか?」「まだ早かろう。」ということが毎年行われていたと伝わっています。
会津は「ならぬものはならぬ。」に代表されるように「してはいけない。」という教えが行なわれていました。
長州では「しなければならない。」という教えが行なわれていました。
どちらの藩にも、教育や信念、さらには正義がありました。
会津と長州、相対する2つの藩を比較することで当時の人々の考え方がわかるような気がします。