「オイ。ずらかるぞ。」
「エレン。」
「多分無事だ。生きてる。汚ねぇが…もうヤツには関わるな…撤退する。作戦の本質を見失うな。自分の欲求を満たすことの方が大事なのか?お前の大切な友人だろ?」
『進撃の巨人』リヴァイとミカサの会話です。
怒り・悲しみ・喜び等、様々な感情を抱く事を自分自身に許すと、素晴らしい事が起こります。
他の人に感情を、ぶちまける必要がなくなるのです。
人が人生において、泣き叫んだり、怒り狂ったりして、感情をぶちまけるのは、単に助けを求めているからではありません。
多くの場合「その感情を抱くのは当然だ。」と誰かに認めて貰いたいのです。
自分の身に起きた深刻な状況を理解されなかった時、誇張したり、大袈裟に表現する事で伝わるのであれば、多くの人はそのような方法を選択します。
彼ら彼女らは「大変だね。同情するよ。」と誰かに言って貰う為であれば、何でもします。たとえ、それが誰かを傷つける事であったとしてもです。
何故、客観的にみて合理的でも生産的でもない上記のような言動を選択してしまうのでしょうか?
その理由は、人間が無能だからでも、常識がないからでもありません。
どのようにすれば感情を適切に処理出来るか教えられる事のない世の中において、私達は、反射的なメカニズムだけに依存しなければならなくなっているからです。
人は、自分の感情の妥当性を確認出来ないと、他者に無理矢理それをさせようと、終わりのない行動を始めます。
でも、このような行動が上手くいく事は決してありません。
そればかりか、その行動はまるで、注目して貰いたい・肯定して貰いたい・褒めて貰いたい等と思っているように映ります。
同時に、大袈裟で、ネガティブで、人生の悪い所ばかりに注目しているようにも見えます。
仮に誰かが過剰に不満を言っている場合、その人は物理的な問題について、あなたに助けて貰いたくて言っているわけではありません。
自分の感情を、認めて貰いたがっているのです。
これは、アルコール依存・薬物依存・人と長期的な関係を構築出来ない等の自己破壊的な行動を繰り返す人の原因としてもよくある事です。
自分の中に深い悲しみがあると、人生や人間関係を楽しむ事自体を、自分に許せなくなってしまいます。
楽しむ事が裏切りのような気がして、出来ないのです。
感情を認めてほしいのに、それが何故かは自分でも分からない状態が続くと、自己破壊的行動を繰り返してしまう事に繋がります。
怒り・悲しみ・喜び等、様々な感情を抱く事を、自分自身に許してあげましょう。
そうする事で、他者に、過剰に感情をぶちまける事がなくなります。
これにより、無駄に他人の感情に振り回される人が減少し、仕事において実績を出す事のみに集中する事が出来るようになり、日本国民1人1人の生産性も向上します。
日本は、人口減少が続きます。2070年には8,700万人の人口となります。
日本が現在オワコンである事は、ここ数年間で多くの人が知る事になりました。
この状態をこれ以上低下させない為には、1人1人の生産性を上げる事が必須です。
私は、その処方箋に自分自身の感情と適切に付き合う方法を学び実践していく事を掲げています。