「君は自他を過小評価した材料でしか組み立てが出来ない。少し未来の強くなった自分を、想像できない。君の奥の手のせいかな?最悪、自分が死ねば全て解決できると思っている。それじゃ僕どころか、七海にもなれないよ。」
「死んで勝つと、死んでも勝つは、全然違うよ。恵。本気でやれ。もっと欲張れ。」
『呪術廻戦』五条悟の言葉です。
私は、大学生の頃、広島・長崎・沖縄に行き、戦争経験者の話を直接聞きました。
「戦争はいけないものだ。」という気持ちになった事は確かですが、どこかバイアスを感じ、納得できない自分もいました。
戦争や災害等では生存者の証言だけが残り、それが基準になりがちです。
死亡した人の話を聞く事は出来ないので、実際には生存者の証言が、どの程度妥当性があるのかわかりません。
同様に、成功した人の逸話だけが語られたり、合格した人だけの勉強法が注目されたりする事も多いです。
実際には、成功しなかった人や合格しなかった人、それ以上に挑戦をしなかったり、途中で諦めたりする人の方が大多数にも関わらず、それらの話は軽視されます。
これらの現象を、生存者バイアス・成功者バイアスと呼びます。
第2次世界大戦中のアメリカ軍において、戦闘から戻った軍用機が敵の銃弾を多く被弾していた場所の装甲を厚くしようという提案が出されましたが、実際には採用されませんでした。
何故でしょうか?
何故なら、戻った軍用機に残っていた弾痕は打たれても、墜落しなかった場所であり、それ以外の場所を撃たれた軍用機は墜落して戻って来られなかったからです。
このように考えたアメリカ軍は、戻って来た戦闘機が被弾していた所以外の装甲を強化しました。
私達が何かを判断する時、そこには必ずバイアスが掛かっています。
バイアスをなくす事は、出来ません。
大切なのは、バイアスが掛かっているという認識をする事です。
「これは持論だけどね、愛ほど歪んだ呪いはないよ。」
「これは持論だが、躾に一番効くのは痛みだと思う。」
呪術師最強も、人類最強も、自身の考えを話す時には、持論という枕詞を使っています。