徳川家康は、生涯で1度だけ戦で負けたことがあります。
その相手は、甲斐の武田信玄です。
天下統一を目指し、信長と対立していた信玄にとって、三河の家康が立地的・経済的に邪魔な存在でした。
そこで、信玄が見事な騎馬によるおとり作戦を用いて、家康を破ったのが三方ヶ原の戦いです。
しかし、信玄は三方ヶ原から間もなく、突然病死してしまいます。
信玄の死に対し、喜ぶ家康の家臣に対し、家康は言います。
「信玄の死をなぜ喜ぶ?隣に強者がいることで、こちらは武勇・政治ともに上を目指す。これにより、国に平和が訪れる。
隣に強者がいることはこちらにも利がある。信玄はそんな武士である。」
その後武田は、信長により壊滅されます。
家康は、そこで敗れた武田の家臣を自らの家臣に招き入れます。
これにより、家康は自らの家臣のさらなる向上を図ります。
そして、江戸幕府を開き、徳川御三家になる水戸を治めたのは元武田の家臣達です。
彼らは、以後200年間徳川幕府を支え続けます。
敗北から学ぶ、家康から学ぶべきところです。