「絶好調の日本男子バレー。今日の相手は、勢いに乗るアルゼンチン。名将ホセ・ブランコを代表監督に迎え、現在世界ランク4位に浮上。日本は現在、このアルゼンチンに2連敗を喫しています。」
…「これで一勝一敗だ。チョーシ乗んじゃねーぞ。」…
…「聞けよ、牛島。俺のバレーは、何一つ終わっていない。取るに足らないこのプライド、絶対に覚えておけよ。」…
…「戦う時は、倒す。」「望むところだね。」…
「俺は、全員倒す。覚悟しとけ。」
「さあさあ、世界一ゼイタクな内輪揉めですよ。」
「話題なのは、やはりアルゼンチン代表のセッター・オイカワ。高校卒業後、ブランコ監督に師事して単身アルゼンチンに渡り、後に帰化。日本に居た学生時代は、ほぼ無名の選手で、全国大会出場経験もありません。」
「やかましいわ。」「なんぼのもんじゃい!」「スケールが違うんじゃい。スケールが。」「ほんとに凄いなあ。」
『ハイキュー』最終話、及川徹の物語です。

仙台に、旅行に行ってきました。
仙台、そして、宮城県と言えば、勿論『ハイキュー』の舞台です。
現在、仙台においては『10周年記念展』『ハイキュー×萩の月』『月島蛍・山口忠仙台観光特使』のイベントが、開催されています。
先週まで開催されていた「仙台七夕まつり」においては『ハイキュー』に加え『僕のヒーローアカデミア』『ゴールデンカムイ』がコラボしていました。
私は、これまでに数多くの駅弁を食べてきましたが、駅弁に対する期待感とは裏腹に「美味しい駅弁」に出逢った事がありませんでした。
そんなこれまでの悲しくも笑える経験が、今回の仙台の旅行で覆りました。
「利休」が販売している「牛タン極弁当」は、期待以上の美味しさで、感動しました。
2,900円と高価ですが、この駅弁は、食べてみる価値があると思います。
「‥ホントにやべェな。この人‥。」「?珍しいな。試合観ねえの。」
「‥観ますけど‥どうしても動かなきゃって思っちゃうんですよね。そつら見てると。」
『ハイキュー』京谷とツッキーの言葉です。
…烏野の プライド胸に 萩のツッキー…
現在「萩の月」と『ハイキュー(ツッキー)』がコラボしています。

各イベントや商品と作品とのコラボは多いですが、キャラクターとのコラボは、中々ありません。
東京ではなく、仙台という地で行われているコラボにも関わらず、買い求めには、抽選に応募して当選をしなかればならないという人気です。
私自身、抽選に応募しましたが、落選してしまいました。
仕事においてよく通る高台から、東北新幹線が近くに見える場所があるのですが、そこから「萩の月」の看板が見えます。
私は「萩の月」は、仙台旅行を計画するまで、松陰先生・高杉晋作の街、山口県・萩市のお土産であると、ずっと勘違いをしていました。
しかし「萩の月」は、仙台の銘菓であり、宮城野の空にぽっかり浮かんだ名月をかたどった、カステラ生地にカスタードクリームをたっぷり使った絶品でした。
私の生まれ故郷である静岡の「こっこ」の上位互換のような美味しさでした。
及川徹の出身校である「青葉城西高校」。
「青葉城西高校」は、実在しませんが「青葉」という地名は存在しており、仙台の中心地は「青葉区」です。
そして、伊達政宗が築城した「仙台城」は、青葉山に築かれた事から「青葉城」と呼ばれています。
青葉山は断崖絶壁、深い森林に囲まれており、まさに自然の要塞です。
政宗は、唯一の出入り口の北側にも、高い石垣が作っています。
政宗は、1600年「千台」を「仙台」と改め「青葉城」の築城に取り掛かります。
1600年は「関ケ原の戦い」が行われた年であり、世の流れは、戦から太平の世に向かっていました。
しかし、東北の雄・政宗が築いた城は、時代に逆行した戦を見据えた山城でした。
南側には長さ3㎞・深さ40mにも及ぶ渓谷、北川には高さ17mの石垣、東側には崖、西側には森林。
太平の世に向かっている中、政宗が築いた城は、全方位に鉄壁の守備を誇る、戦を強く意識したものでした。
ただ「青葉城」には、城のシンボルとなる天守は、造られませんでした。
これには、2つの理由が考えられます。
1つ目は、既に展望は確保されていた事。
もう1つは、政宗を警戒していた天下人・徳川家康への配慮の為です。
天守閣の代わりに造られた「本丸御殿」は、430畳という異例の広さを誇る豪華絢爛なものでした。
「本丸大広間跡」は、発掘調査を基に、当時の建物規模や部屋割り等が再現されています。
現在「お城」を確認する事が出来ない「青葉城」の為、その歴史を楽しむには、予習をして行く事をお勧めします。
私は、戦国武将として政宗を、あまり評価していません。
生まれた場所が東海道であれば、あと10年早く生まれていれば等、たくさんのもしを想像する事も、歴史の楽しみ方の1つですが、政宗が戦において、日本の歴史に影響を与えた事はありません。
政宗は、戦よりも、政治・経済において、実績を残した人物です。
秀吉・家康と歴代の天下人に従いながらも、領国を没収される事を避け続け、生まれ故郷である仙台を、現在も続く東北一の街にした礎を築いたのは、政宗の功績です。
そして、政宗は、江戸幕府が開かれると、江戸の人口が増加すると予想し、政治を動かします。
江戸の人口が急増すれば、江戸における食料の需要も、急増します。
これに気付いた正宗は、江戸との航路がある石巻港に、領地の米を集積する物流整備を図ります。
農地の近くを流れる北上川に船を通し、内陸部で収穫された米を、石巻港へと効率的に出荷させました。
その結果、江戸に流通する米の多くが、石巻港から届けられる仙台藩のものとなりました。
表向きは62万石といわれた仙台藩の石高ですが、江戸に流通していたものを含めると、実質は200万石だったのではないかとも言われています。
実際に刀を交え、戦う事だけが戦ではありません。
現在も続く、自身、否、自身の家族・会社・街、そして国になる利益となる政治をする事も、戦です。
「俺のバレーは、何一つ終わっていない。取るに足らないこのプライド、絶対に覚えておけよ。」
天下人を目指した政宗は、戦において、天下を目指す道から路線変更をします。
政治家として、仙台の発展を目指した政宗と、及川徹の姿が「青葉城」から眺める仙台の街並みを見ながら、重なりました。
死期が迫った政宗は、二代藩主の忠宗に「青葉城」の中心を、山の下に移動させるように、命令をします。
戦の時代は、完全に終わり、太平の世に。
忠宗は、山の下に城を移動させ、伊達家の城は、戦の城から、政治の拠点へと、その役割を変化させていきます。
政宗が眠る「瑞鳳殿(ずいほうでん)」。
豪華絢爛な装飾が、「伊達男」の由来でもある政宗という人物を、表してします。
「瑞鳳殿」は、山林の中にある為、坂道や階段が多い為、足腰に自身のない方は行くのが大変かもしれませんが、暑さが和らぐ場所でもある為、夏に仙台に行った時には、避暑地としてもお勧めです。